「4年間のすべてがつながった」村岡の銀メダル 平昌パラリンピック
平昌パラリンピック競技初日の10日、アルペンスキーでは滑降が行われ、女子座位の村岡桃佳(早大)が、銀メダルに輝き、今大会日本人第一号のメダリストとなった。村岡は2014年ソチ大会に続いて2度目のパラリンピック出場。前回はメダルなしに終わり、今回初めて表彰台に上がった。
【「攻め」に思い直したのは成長の証】
銀メダル獲得が決定し、ミックスゾーンに現れた村岡に興奮した様子はなく、意外にも落ち着きがあった。前回大会では手繰り寄せることができなかったメダル獲得に、村岡はこう答えた。
「本当に率直に言うと、ほっとしています」
冒頭に「本当に」と付いているところが、心の底からの本音であることが示されているような気がした。
この日の気温は氷点下だったにもかかわらず、「春の訪れ」を告げるかのような暖かな日差しが照る中で始まった「高速系種目」の滑降。雪質が変わり、村岡のクラス(女子座位)では7人中3人が転倒し、ゴールラインに到達することができなかった。
村岡の前にも2人続けて転倒し、村岡もそのうちの1人の転倒については自らにスタートストップがかかっていたことからわかっていた。そのため、ライバルが減ったことで「無難に滑れば、それなりの結果は出るかもしれない」という気持ちがわいてきたという。だが、「やっぱり、勝ちに行きたい」と思い直し、スタート地点に立った。
【トップバッターとしての役割】
実際、村岡自身もまた、滑走中は何度もバランスを崩し、転倒しそうになった。「恐怖を感じながらのレースだった」という。それでも「自分の力を出し切るには、攻めていく滑りしかない」と考えていた。その言葉通り、彼女の滑りには「守り」は感じられず、その姿には勢いがあった。
「今までの私だったら、そんな気持ちになれなかったかもしれないし、なっていたとしても、それが滑りに表現できなかったので、今回、そういう気持ちを持てたことも、滑りとして自分のベストを尽くせたことも成長できた点なのかなと思います」
銀メダルは「4年間という時間のすべてがつながった結果」と語った。
前日の9日に行われた開会式では、日本選手団を牽引する旗手を務めた村岡。実はその日、気づいたことがあった。
「アルペンは、予定通りの競技日程でいけば、私に始まって、私で終わるんです」
少しプレッシャーにも感じたが、「日本チームのトップバッターとしてメダルを獲得して、勢いをつけられたらいいなと思って滑降に臨んだ」。そして、その通りの結果を得た。
しかし、満足はしていない。
「残り4種目ある。ここは、まだ通過点。さらに高みを目指して、頑張りたいと思います」
銀メダルは、今大会の「ゴール」ではなく「スタート」にするつもりだ。
(文・斎藤寿子)