輝ける場所への思いを持ち続けて 車いすラグビー・池透暢
「来年は、金メダルを獲って、皆さんを泣かせたいと思います!」
“もう一つのラグビーワールドカップ”と銘打って開催された「車いすラグビーワールドチャレンジ」(10月16日~20日・東京体育館)の最終日、車いすラグビー日本代表キャプテン池透暢の“金メダル宣言”に、会場を訪れた約6600人の観客が沸いた。誠実な人柄で、自ら目立つようなことはしないタイプである。決して“ビッグ・マウス”なことは言わない池の“宣言”に、本番に向けての覚悟の強さが感じられた。池透暢、39歳。2014年以降、日本代表のキャプテンを務める池とは、どんな人物なのか。
“勝って兜の緒を締める”キャプテンシー
10月16日に開幕した「車いすラグビーワールドチャレンジ」。世界の強豪8カ国が集結し、5日間にわたって行われた今大会は、1年後の東京パラリンピックと同じ5日間の日程で行われた。そのため、池たち日本代表は本番のつもりで金メダル獲得を使命とし、大会に臨んだ。
4チームずつ2つのグループに分かれて行われた予選リーグ、日本は初戦でブラジルと対戦した。昨年の世界選手権で初優勝し、現在世界ランキング2位の日本に対し、ブラジルは同10位。今大会の参加国の中では、最も格下の相手と言えた。結果は、61-42の大勝。第1ピリオドから攻守にわたって圧倒し、6点の大量リードを奪った日本は、後半は池や池崎大輔を温存。12人全員が出場しての白星スタートを切った。
しかし、池はこの勝利に決して満足してはいなかった。
「全員が出場することができましたし、みんな体のキレも良かったので、とてもいいスタートが切れたと思っています。ただ、チームとしても個人としても課題もありました」
例えば、オフェンスの際のボールキープ。車いすラグビーではボールを膝の上に置き、車いすを漕いで攻めていく。その際、相手はそのボールをカットしようと手を出してくる。選手の体に触れればペナルティとなるが、ボールに直接触れれば奪ってインターセプトを狙うことができる。そのため、カットされないように注意しなければならない。
池は言う。
「ボールをルーズにするようなカジュアルなラグビーをしない。必ずしっかりとボールを守りながらプレーすることがこれからの課題。上位チームとの試合では、たった一つのターンオーバーが勝敗を分けるので、そういう小さなミスさえ許さないというプレーをしていかなければいけません」
“勝って兜の緒を締める”池の厳しい言葉に、キャプテンシーの大きさがうかがい知れた。
車いすラグビーで伝えることが使命
今大会、日本は予選を3戦全勝で1位通過し、準決勝に進出した。しかし、“因縁のライバル”で世界ランキング1位のオーストラリアにわずか1点差での惜敗を喫し、3位という結果となった。来年の東京パラリンピックを想定して臨んだ今大会、優勝することに重きを置いて臨んだだけに、選手たちの悔しさは計り知れない。
池もこう語って、自分たちを戒めた。
「今大会を東京パラリンピックと位置付けて戦ってきただけに、大きな悔しさが残ります。今は金メダルを獲れるかもしれないチームなのかもしれませんが、確実に獲れるチームにならなければならない。そのためには今の努力では足りない。最大限の努力というものに対して、今の自分たちがイメージしているものをさらに超えるくらいのことをしなければ金メダルには届かないということがわかりました」
一方、大会期間中、池はこうも語っていた。
「自分たちのプレーが、誰かの何かのためになっているんだ、ということを自覚し、改めて自分たちにはやるべきことがあるということを改めて感じながらプレーしました」
果たして、この言葉の意味とは――。
池は、19歳の時に事故に遭い、全身に大やけどを負った。一命はとりとめたものの、左足を切断し、左手は感覚を失った。右足も曲げることができなくなった。だが、最も大きかったのはその事故で友人を亡くしたことだった。その友人を思い「生かされた証」を残すために池は車いすラグビーで世界を目指してきた。
そんななか、2016年リオデジャネイロパラリンピックで、日本は史上初のメダル(銅)を獲得。池は天国の友人と、日本で応援してくれている友人に向けてメダルを掲げた時、達成感があった。「もう、これで終わってもいいのかな……」。そんな気持ちになっていた。
しかし、リオから帰国後、やはり現役を続行することを決意した。それはこんな理由からだった。
「車いすラグビーは、自分が“輝ける場所”。その場所にいることができる自分には、まだ果たす役割があるなと思ったんです。車いすラグビーを通して、もっとたくさんの人に何か伝えられることがあるんじゃないか、それがこの世界に足を踏み入れた自分がすべきことなんじゃないか、そう思いました」
アメリカでも伝わった池の思い
それは、日本国内にとどまってはいない。彼は昨シーズン、初めてアメリカのクラブチームでプレーした。いくつかの選択肢の中から池が選んだのは、レイクショアというクラブチーム。敷地内にいつでも利用することができる体育館、プール、ジムがあり、すぐ近くには住居用のコテージがあり、競技に専念するためには最高の環境がそこにはあった。
そして、もう一つ、池にはレイクショアを選んだ理由があった。レイクショアは、池と同じ日本代表の池崎大輔や島川慎一が所属したチームのように、米国代表もいるような強豪チームでは決してなかった。実際、パラリンピックを経験しているのはチームで池一人。チームメイトとの力量の差は小さくはなかった。
それでも池が選んだのには、ある思いがあった。
「新たな環境で、新しくチームを作り上げていきながら、チームを成長させ、自分も成長していく。それにトライすることで、今後の競技生活はもちろん、現役引退後も一人の人間として必ずこの経験が生かされて、成長できるきっかけになると思いました」
日本人としてもパラ経験者としても、唯一の存在だった池は、さまざまなツールを使いながらコミュニケーションを図り、チームづくりを行った。「自分が抜けたあと、新しい選択肢が生まれるような、そんな自分がいたことがきっかけで戦略や選手たちのモチベーションが変わるようなかかわり方ができればいい」という思いの中、シーズンを送った。
レイクショアの選手たちの中には、劣勢になると、モチベーションが落ちて緩慢なプレーをする選手もいたという。それに対して池は「どういうマインドが必要なのか」ということを伝えようと常に声をかけ、プレーでも見せ続けた。
そして迎えた今年3月、レイクショアの一員として最後となった全米選手権。池は、チームメイトからこんなメッセージを受け取った。
<池が来てくれたことに、すごく感謝している。一緒にプレーすることで、たくさんの学びがあったよ。池のおかげで自分の目標がこれまでよりも大きなものになった。僕は代表でベストプレーヤーになることを目指すよ!>
「僕とのかかわりが一つのきっかけとなって、彼の目標が大きくなってくれたことがすごく嬉しいなと思いました」
また、言葉には表さなくても、明らかにプレーに変化を感じる若手選手もいた。
「最初の頃は、何かミスが起こると、人に責任転嫁するようなところがあったんです。でも、そんな彼が、いつの頃からか、僕が『すまなかった』と言うと『いやいや、自分が悪いんだ』と言うようになったんです。もしかしたら、僕がいつも人のせいにせずに自分がこうすべきだったということを言ってきたことで、そういうことが大切なんだということを感じ取ってくれたのかなと。実際にプレーでも粘りが出てきたように感じられて、これからが楽しみだなと思いました」
自分を律してくれるアメリカで得たもの
日本国内のみならず、海外の選手にも大きな影響を与える存在である池。果たして、彼が伝えたいものとは何なのか。
「正直、こういうことって、あまり口に出したくはないのですが……」
そう言って、少しためらいながらも、池は言葉を選ぶようにして丁寧に胸の内を語ってくれた。
「障がい者スポーツの価値って、ハンデをもった中でも、何か一つでも輝く魅力を持っていた方が人生が豊かになると思うんです。ポジティブに人生を送るためにも、そういうものが必要なのかなって。だから選手たちにはそういうものを持ってほしいと思いますし、さまざまな人たちのおかげで、輝ける場所にいられるということは、それだけ責任を持ってしっかりとプレーしなければいけないと思うんです。そういうことが、レイクショアの選手たちにも伝わっていたらいいなと思います」
今年4月にアメリカから帰国し、東京パラリンピック1年前という重要な2019年シーズンを過ごしてきた池。時折、アメリカでのことを振り返ることもあったという。
「レイクショアでは、最初はバラバラだったけれど、努力し続けることで最後は一つになれたと思いますし、チーム力の大切さや、チームを勝利に導くために何が必要なのか、それを見抜く力も養われたと思います。でも、(帰国後)やっぱり自分が停滞することもあって、そんな時にはアメリカで得たことを活かさなくちゃと、何度もあの時のことを振り返る瞬間がありました。レイクショアで一緒にプレーした仲間たちの顔を思い出して、応援してくれている彼らにとっても誇れる選手でありたいな、と。自分を律しながら、今、前に進んでいます」
池が目指す東京パラリンピックでの金メダル。そこには、単なる勝敗だけではない、さまざまな思いが込められている。だからこそ、彼は本気なのだ。自分にとって仲間にとって“輝ける場所”。その世界最高峰の舞台であるパラリンピックは、もうすぐだ。
(文・斎藤寿子)