銅を獲得したタイチームを支える日本人コーチ アジアパラ大会2018
パラアスリートのコーチとして活躍する日本人がいる。「アジアパラ大会2018」でタイの女子バドミントンダブルスを銅メダルに導いた田中晃二さんだ。普段はタイの企業でサラリーマンをしながら、仕事の合間を縫って選手のサポートに励み、タイのアスリートたちが世界中で活躍する機会を作っている。
「アジアパラ大会2018」5日目の10月10日、女子バドミントン(SU5-SL3クラス)で登場したタイのチャニダとニパダは、勝てば銅メダル以上が確定するこの試合で、相手の中国香港チームを2-0のストレートで下した。
「自信を持って臨んだゲームで、あとは次の試合にいい形でつなげられる試合運びが大事でした。前半はミスが出てしまいましたね」
試合を終えたばかりのチャニダは、悔しそうにゲームを振り返った。前日のシングル(SL4)予選では接戦の末に敗北を喫していた。気を取り直して臨んだダブルスは、スコアだけ見れば完全に優勢だったが、1セット目はサーブミスなどで不要な失点もあり、頭の切り替えが必要だったようだ。
「明日は準決勝だぞ。今、気を抜いてどうするんだ」
チャニダは1セット終わった時、コーチにそう檄を飛ばされ、「その一言で(頭が)リセットされて、集中して最後までプレーできました」と前後半の心境の変化を語った。
アスリートの世話役
「あなたは日本のジャーナリストですよね。ちょっと待っててね」
インタビューを終えたチャニダがそう言うと、右手を上げてコーチを呼び寄せた。しばらくすると、「どうも、こんにちは」と馴染みの言葉。小刻みに会釈をする姿は日本人そのものだ。
「タイチームのマネジャーをしている田中です。はい、日本人ですよ」
田中晃二さん。53歳。タイのバンコクに住む田中コーチは、今大会ではタイのパラリンピック委員会からの任を受け、バトミントンチームのマネジャーとしてまとめ役を担っている。
「僕の場合はコーチと言っても、仕事の内容は選手の弁当の手配や配車、メディア対応など多岐にわたります。時には選手の愚痴聞きや、コーチ同士の橋渡しもしますからね」と頭をかく。首から下げたネームプレートには、《タイ チームマネージャー》の文字。8日間という長い大会期間中、チャニダを含むパラバドミントンの選手15人のメンタルフォローにもあたる世話人のような役割だ。
手弁当のサラリーマン兼コーチ
日本の指導者が海外のチームのコーチに就任するケースは今では珍しくない。2008年の北京オリンピックで、中国を指導し中国初の銅メダルをもたらした井村雅代氏が代表的だろう。プロサッカーリーグでも、日本の指導者が海外で活躍するような例も増えている。ただ、田中コーチは一味違った関わり方をしているようだ。
日本企業に勤めていた田中さんは、31歳の時にタイの駐在員に赴任した。自身がバドミントンのプレイヤーで、仕事帰りにバンコク市内の練習場に通っているうちに、現地でバドミントン仲間が増え始めた。タイ人プレイヤーとの交友関係が広がると、ジュニアクラブチームとの交流が始まり、日本や中国のジュニア大会に帯同するようになった。タイ語と英語、日本語を使えるため、2006年からは健常者の日本代表選手のタイ遠征の手伝いもするようになり、日本とタイの選手たちのサポート役になっていた。
「今はタイの企業に勤めているサラリーマンです。仕事の合間を縫って、チャニダなど選手のスパーリングパートナーとして練習相手になったり、世界大会に同行したりしています。コーチ業でサラリーをもらってはいません」と話す。
世界の大会に出場するチャンスを作る
チャニダとの出会いもその活動の延長線上にあった。4年ほど前にタイ人のコーチを介してチャニダと出会い、障がい者が練習する施設(タイ国スポーツ省内)にスパーリングパートナーとして参加するようになった。そこは、障害の有無や年齢、性別に関係なくみんなが同じ会場で練習をしていた。タイのコーチを通じて、先天的に左足が極端に短いという障害を持ったチャニダと出会った。障害者スポーツであるパラスポーツとの出会いは自然な流れで生まれていった。
「チャニダのようなタイのアスリートたちを育てて、日本を始め、世界の大会に出場させるチャンスを作っていきたいです。そして、当面は2020東京大会に出られるようサポートを続けたいです」
大会6日目、準決勝を迎えたチャニダとニパダはホスト国であるインドネシアに負けてしまった。
2020年の東京大会でパラバドミントンは正式競技になり注目されている。それに向けてどんな準備をしていくのだろうか。チャニダに問うと、意外な答えが返ってきた。
「私も選手でありながら企業に勤めるサラリーマンです。この大会のために仕事は山積みなので、まずはその片付けからですかね」
アスリートらしからぬ表情を見せると、同じサラリーマンである田中コーチと顔を見合わせて笑い合った。
(文:上垣喜寛/翻訳:鈴木貫太郎)