「ブレードランナー」に転身した元ラガーマン。大島健吾、パラ陸上をかき回す!
昨年、日本人初の100m9秒台が記録され、活況を呈する日本の陸上短距離。選手間の実力が拮抗していることも、背景のひとつだ。切磋琢磨するライバルの存在は相乗効果を生み、能力の天井を押し上げていく。目下、パラ陸上の短距離でも似たような状況が生まれつつある。T64(下腿義足使用)クラスでは、春田純(Xiborg)、佐藤圭太(トヨタ自動車)といったパラリンピック経験者に加えて、若手選手も続々と台頭してきた。その一人が、大島健吾(名古屋学院大学)だ。大学入学と同時に陸上を始めて2ヶ月。「まだわからないことだらけで」と課題も多いが、それは伸びしろの裏返しでもある。
上々の初レース。本人は「甘くない」
「めっちゃ楽しいですね。これ履いてガンガン走りますよ」
3月末、東京都台東区にある義肢装具士・沖野敦郎の工房『オキノスポーツ義肢装具』で、大島は声を張り上げた。
この日は、初めてオーダーした競技用義足のフィッティング。生まれつき左足首から下が離断している大島は、歩行、走行時に左右のバランスを取るため、普段から義足を使用している。生活用の義足は足の形状を模した物だが、対して、競技用義足は走るために作られたバネの様なデザイン。今までにない疾走感に興奮した様子の大島を見て、沖野も思わず顔をほころばせていた。
それから約2ヶ月後に行われた『愛知パラ陸上フェスティバル』でパラアスリートとしての第一歩を踏み出した大島は、100mで12秒67をマーク。佐藤、春田に次いで3着に入った。
「楽しかったんですけど、周りに速い人が多かったので、甘くないですね」と振り返るが、“初レース”にしては上々のタイムと言える。
2戦目となった7月7日のジャパンパラ陸上では、予選で12秒50と自己記録を更新。迎えた決勝では、12秒63で5着。ややタイムを落としたが、佐藤、春田ら実力者に続いた。
レースの感想を聞くと「思ったよりフォームが良くないですね。身体が左右にブレていて、かつ、まだ地面を蹴っている感じ。練習を積んで、直していきたいです」という答えが返ってきた。
競技転向のきっかけは“発掘イベント”
大島は高校時代、ラグビー選手だった。ポジションは『フランカー』。攻撃、守備の両局面に積極的に参画し、スピードとタックル時の強さも求められる役割だ。プレー時は、生活用の義足を履いて走り、ぶつかっていた。しかし、大学でラグビーを続けるつもりはなかったという。
そんな大島が、次の競技として陸上を選んだきっかけは、2016年11月まで遡る。高校2年生だった当時、静岡県で行われたパラアスリート発掘事業に参加し、佐藤や山本篤(新日本住設/パラリンピック走り幅跳び銀メダリスト)から陸上競技を勧められていたのだ。
同イベントで、競技用義足の体験ブースを出していた沖野が振り返る。「彼が体験ブースに来てくれて、板バネ(競技用義足)を履いたらもっと速く走れるよ、という話をしたのですが、今はラグビーに集中したいということで、気が向いたら連絡して、と声を掛けていました。その後、今年の2月頃に『大学からは陸上競技をやりたい。義足を作って貰えませんか』と」
「まだまだ、走り方は下手ですが…」
大島本人も認めているとおり、ランニングフォームにはまだ、改善の余地がある。高校3年間のラグビー経験で身体に馴染んだ走り方の癖を、目下修正中だ。
「“ラグビーっぽい走り”が抜けていないというか。まだフォームが荒削りなんです」(大島)
大島に陸上を勧めた佐藤は、愛知パラ陸上、ジャパンパラ陸上での走りを見て「まだまだ、走り方は下手ですが、速くなるポテンシャルを持っています」と話す。
「今は名古屋学院大学の陸上部に混ざって練習を積んでいるようですが、部の監督が十種競技の元日本代表選手なんです。僕も一緒に練習をする時があるので、今後も大島くんとトレーニングを共にする機会もあると思う。まずは基礎を徹底的に磨いて欲しいですね」(佐藤)
ボロボロになったゴムソール
今年は10月のアジアパラ競技大会、来年は世界選手権、そして再来年は東京パラリンピックと、大きな国際大会が続くが、陸上を始めて2ヶ月の大島は、あくまでもマイペースで、力を蓄えていく。
「陸上を始めたばかりにしては良いね、と言われますが、満足はしていません。今は陸上部の同級生の中で一番遅いですし。さすがに、最下位は嫌です」
同僚という“距離の近いライバル”への負けん気を示しながら、別の目標も持っている。
「やっぱり、佐藤さんに追いつきたいですね」
自身を陸上競技へ導いた先輩は、11秒77のアジア記録を保持する。差は1秒弱だ。
次のステージとして、9月に香川県で開催される日本選手権へ照準を合わせていく。「国際大会は、まだ自分には早いです(笑)」と謙遜する大島だが、経験が無いからこそ、吸収力は高い。競技用義足を初めて履いた時に感じた走ることの楽しさを、トレーニングのたびに、レースのたびに、噛み締めているようだ。
「ガンガン走りますよ」と沖野に告げてから3ヶ月後、トレーニングで使用する義足用ゴムソールは、沖野自身が呆れるほどに、見事にボロボロになっていた。
(文・吉田直人)