“ブレない”エースの姿 ~車いすバスケットボール・香西宏昭~
5月5日(現地時間)、ドイツ・ブンデスリーガでのシーズン最後のゲームを終えた香西宏昭は一人、遠くを見つめていた――。
「(今の気持ちを)一言では言い表すことはできないですけど、終わったんだなぁと……」
きっと、約半年間にわたって挑み続けた“戦いの日々”が走馬灯のように、香西の頭を駆け巡っていたに違いない。さらなる成長を求めて強豪RSVランディルに移籍して1年目の今シーズン、果たして彼はどんなことを感じながら日々を過ごし、そして何を得て再び日本へと帰国したのか。日本のエース香西宏昭の姿を追った。
移籍1年目、1カ月遅れのスタート
米イリノイ大学卒業後、プロとして2013-14シーズンからドイツの車いすバスケットボールリーグ、ブンデスリーガ(1部)でプレーしている香西。4シーズン所属したハンブルガーSVでは、リーグ戦の上位4チームが進出できるプレーオフには進むものの、そこから先にはなかなか上がることができなかった。
そんな中、昨シーズンを終えた香西はあることを決意した。ブンデスリーガでは自身初めての「移籍」だった。移籍先として彼が望んだのは、ランディル。そのシーズンのリーグ覇者で、過去には欧州クラブチャンピオンにもなったことがあるほどの実績を持つ、リーグ屈指の強豪チームだ。
今シーズンのランディルもまた、2016年リオデジャネイロパラリンピックで金メダルに輝いた米国代表や、地元のドイツ代表など、世界のトッププレーヤーたちがこぞって集まっていた。ハンブルガーで主力としてプレーしてきた香西だったが、強者たちがひしめき合うランディルでは試合に出場できるかどうかさえ保証されていなかった。
しかも、昨年10月に世界選手権のアジアオセアニア予選があったため、香西が本格的にチームに合流したのは、開幕1カ月後の11月。移籍1年目で1カ月遅れでのスタートが、いかに厳しい条件だったかは想像に難くない。香西にとっては“一から”ではなく“ゼロから”のスタートと言ってもよかった。
9月30日、香西が日本でアジアオセアニア予選の準備期間を過ごす中、ドイツではブンデスリーガ(1部)が開幕した。昨シーズン覇者のランディルは、当然、今シーズンも優勝候補に挙げられていた。ところが開幕早々、予期せぬ事態が起こっていた。6試合を終えた時点で3勝3敗。特に10月後半の2試合は“波乱”と言っても過言ではなかった。ライバルチームに40-61という大差をつけられ、さらに格下相手にも同点で迎えた試合終了間際にスリーポイントを決められ、痛い連敗を喫したのだ。
スタメン抜擢で白星デビュー
香西が日本代表の活動を終え、ドイツへと渡ったのは、ちょうどその連敗した翌日、11月1日のことだった。その日、香西は到着後、すぐにチーム練習に参加した。すると、ヘッドコーチ(HC)からこう声をかけられた。
「ヒロ、チームに戻ってきてくれて、ありがとう」
そして、こう告げられたという。
「(3日後の)4日の試合では、スタートでいくと思うから、そのつもりでいてほしい」
指揮官の言葉に、香西は驚きを隠せなかった。
「『戻ってきてくれてありがとう』という言葉に、まずは素直に嬉しいと思いました。でも、本当にまったく想像していなかったので、『おぉ!』という感じでした(笑)。日が経つにつれて、試合に出られる嬉しさだったり緊張感が出てきて……。でも、ミスをしたらどうしようとか、そういう考えはなかったです。とにかくチームが勝つために、負けが込んでいるチームが変わるために、自分がやるべきことは何かを考えながら、試合に向けて準備をしていきました」
そうして迎えた11月4日のホーム戦、スタメンに抜擢された香西は、日本代表で培った攻守の切り替えの速さを強く意識したプレーでチームに貢献した。試合は後半に入って大きく引き離したランディルが81-42で快勝。3試合ぶりの勝利に、会場に集まったファンの喜びもひとしおだったに違いない。
試合後、香西はチームスポンサーの関係者からこう言われたという。
「(ランディルとして)初めての試合とはとても思えないくらいチームにフィットしていたね」
実際は1試合目ということもあり、まだチームメイトとのパスや動きなどにはタイミングのズレが生じていたことも少なくなく、反省点はいくつもあった。だが、その言葉は、香西がランディルの一員として認められた、何よりの証だったのではなかっただろうか。
実は今シーズン、ランディルはこれまでとは異なるスタイルのバスケに挑戦していた。優勝した昨シーズンは、長身のハイポインターを主軸としたインサイドに強いバスケだった。だが、HCが新しく替わり、メンバーも入れ替わった今シーズンは、攻守の切り替えや、戦略を立てたセットプレーなど、高さがない中でどう勝機を見出すか、そんな考えられたチームバスケをしようとしていたのだ。だが、開幕当初は、それがうまく機能していなかった。
そうした中での香西の登場は、チームにとっては何より大きく、救世主と言っても過言ではなかったはずだ。実際、香西の加入後、リーグ戦では一つも落とすことなく、連勝街道を突き進んだランディルは、2位でプレーオフ進出を決めた。
5シーズン目にして初めての経験
ランディルが目指すのは、リーグ戦のほか、ディビジョン制を取り払いオープントーナメント形式でドイツ王者を決める「ドイツカップ」、欧州のクラブ王者を決める「ユーロカップ」と、あわせて3つのタイトルだ。毎週末のように行われるリーグ戦の合間に、ドイツカップやユーロカップの予選も行われている。
そんな厳しい日程の中、ランディルは今シーズも3つすべてにおいてタイトル獲得のファイナルステージへと勝ち進んだ。これは、香西にとっては初めてのことだった。その一つ、ドイツカップではランディルが優勝し、香西はブンデスリーガ5シーズン目にして初めてのタイトルを獲得した。
しかし、その後に行われたリーグ戦ファイナルラウンド2試合およびユーロカップのファイナル4(準決勝、3位決定戦)では、4戦全敗。しかも、今シーズン最後の試合となったユーロカップの3位決定戦では、香西は出場時間16分半で、小学生の時以来という無得点に終わった。
こんな終わり方では、納得できないのではないか。悔しい思いを募らせているに違いない……。
そう思いながら、ランディルのベンチへ駆け寄ると、そこには意外にも穏やかな表情で遠くを見つめている香西がいた。果たして、彼の胸のうちにあったものとは――。
「もちろん、こういう終わり方はしたくなかったけれど、それでもミスが多くて何度も崩れそうになりながら、チームも自分自身も諦めずに戦い続けた40分間だったなと。ドイツでは5シーズン目になりますが、こんな風に何が起ころうがチームでやり続けられたというのは初めての経験。こういう姿を見せることができたのは、良かったんじゃないかなと思います」
敗戦の後も“ブレない”姿
実は、こうした敗戦の後の言葉や姿にこそ、香西の成長をうかがわせるものがある。
今年1月末のロングインタビューで、香西はこう語っていた。
「事実のみを見るって、とても難しいなと今、感じているんです。事実を見ようとする前に、考えとか感情が出てきて、冷静さを欠いたプレーや焦りにつながる。でも、人間だから感情があるのは当たり前で……。だから、感情をどうコントロールするかだなぁと」
その数日後、ユーロカップの予選で、ランディルは香西が加入後、初めて黒星を喫した。その試合後にコメントを求めると、2日間で4試合という厳しい日程で疲弊しきっていた中でも、彼は真摯に受け答えをしてくれた。しかし、何か“イライラ感”“モヤモヤ感”を出すまいと、必死に耐えているようにも感じられていた。もちろん、それは負けた後の選手の姿としては、いたって普通のことであり、彼なりにきちんと感情をコントロールしようとしていたように思えた。
変化を感じたのは、それから2カ月後の4月、リーグのファイナルラウンドでライバルに連敗を喫し、優勝を逃した後のことだった。そこには“イライラ感”“モヤモヤ感”はほとんど皆無に等しかった。もちろん、悔しさがなかったわけではない。だが、その時の香西には落ち着き払った“強さ”が感じられたのだ。
さらに、先述したシーズン最後となったユーロカップでの3位決定戦後もまた、同様の雰囲気が感じられ、敗戦の後にもかかわらず、どっしりとした頼もしささえ、そこにはあった。感情を「コントロールしようとしていた」のではなく、しっかりと「コントロールしていた」。
それではなぜ、香西の姿にこうした雰囲気を感じたのか。その答えのヒントを与えてくれたのが、ある人物の言葉だった。今回、海外選手がひしめく欧州のクラブチームの視察にユーロカップを訪れていた日本代表の及川晋平HCだ。試合中、及川HCが何度もつぶやいていたのは、「ブレていない」という言葉だった。
「香西、いいね。まったくブレていない。彼が成長し続けていること、そして成長し続けようとしていることが確認できた。それが今回の一番の収穫だね」
指揮官のその言葉が頭に浮かんだ時、「なるほど」と思った。そもそも香西が、なぜブンデスリーガでプレーしているのか。または強豪ランディルに移籍を決めたのか。それはすべて日本代表が2020年東京パラリンピックでメダルを獲得するためであり、そのためにはエースである自分がレベルアップする必要があると感じているからにほかならない。つまり、チームの勝敗とは別に、ランディルで自分がすべきことは何なのか、何のためにここにいるのか、そのことを見失うことなく、強い思いを持って日々を過ごし、プレーをしてきた何よりの証が、感情をコントロールした「ブレていない姿」だったに違いない。
エースだからこそ「まだまだ成長し続ける」
試合終了間際に決勝点となるシュートを決めるなど、プレーにおいても確実にレベルアップを図ってきた香西。心技体すべてにおいてさらなる成長を遂げ、また一段上のステージに上がりつつあると言っていい。だが、香西自身は「まだまだ」と、いたって低姿勢を崩さない。そこには世界トップレベルで戦い続けている彼だからこそ感じているものがある。
「東京まで残り2年と考えると、正直、焦りを感じます。世界トップレベルの選手たちと同じチームでやっていると、『あぁ、メダルを取るためには、彼らのような選手がいるチームに勝たなければいけないのか』と思う時があるんです。それほど一緒にプレーしていて、彼らのレベルの高さを感じる。今の僕がエースと言われるような日本では、パラリンピックでメダルをとることはできない。だから僕は、まだまだ成長しなければいけないんです」
ランディル1年目のシーズンを終え、5月半ばに帰国した香西。休む間もなく、日本で所属するNO EXCUSEの一員として日本選手権(5月19、20日)に臨む。狙うは、昨年あと一歩のところで逃した「日本一の座」だ。
そして、日本選手権が終われば、日本代表活動が本格的にスタートする。今年8月には、及川HCが「東京までの最後のリハーサル」と語る世界選手権が控えている。日本の目標は「ベスト4以上」だ。
香西は言う。
「アジアオセアニアで3位のチームが、世界でベスト4を狙うなんて、身の程知らずなことを僕たちはやろうとしている。でも、東京でメダルを目指すなら、世界選手権でベスト4を狙うのは当然のこと。もうそろそろ、僕たちは勝つチームにならなければいけない。じゃあ、そのためにはと考えると、まずは自分が変わらなければいけないなと。そうした中で、僕の姿を見て、日本のみんなに何か伝えられることがあればと思っています」
世界トップレベルのステージで戦い、結果を残した香西。海外で成長し続けてきた彼が、今度は日本のエースとして魅せてくれるに違いない。
(文&写真・斎藤寿子)