五輪出場拒否を乗り越え、日本製義足で完全復活目指す鬼才のランナーと日本人エンジニアの夢【世界パラ陸上神戸大会】
パラ陸上の世界選手権は25日、神戸ユニバー記念競技場で最終日が行われ、男子400メートル決勝(T62=両下腿義足)で米国のブレイク・リーパーが49秒48で4位に入った。2019年に44秒38という驚異的な記録を出した彼は、過去に健常者と同じ国際大会に出ることを熱望したものの、使用している義足が問題視され、2021年の東京大会ではオリンピックはおろかパラリンピックにも参加できなかった。一時は引退寸前にまで追い詰められたが、日本の義足開発ベンチャー「Xiborg(サイボーグ)」と出会い、新しい義足でカムバックした。孤高の天才ランナーと彼を支えるエンジニアには、「世界を変えたい」という共通した夢があった。
「異端児」「鬼才」「常人離れ」……。ブレイク・リーパーを知る人は誰もが彼を異能の人間として形容する。
それも当然だろう。ロンドン・パラリンピックで200メートルで銅、400メートルで銀を獲得してトップランナーの仲間入りをしたにもかかわらず、2015年に薬物検査でコカインの成分が検出され、大会出場停止処分を受けた。ドーピング目的ではなかったと判断されたが、2016年のリオ・パラリンピックには出場できなかった。それでも記録を伸ばし続け、2019年には44秒38という驚異的なタイムを叩き出した。これは、東京オリンピックの男子400メートル決勝で6位に相当し、健常者の日本記録(44秒77)より速い。
義足ランナー初の400メートル43秒台が期待されたが、当時の彼はオリンピックへの出場を熱望していた。たしかに、2012年のロンドン・オリンピックでは、南アフリカのオスカー・ピストリウスが義足のランナーとして出場していたこともあり、可能性はゼロではなかった。だが、スポーツ仲裁裁判所の判決は、義足がレースに有利に働いている可能性や、そもそもリーパーの使用している義足が世界パラ陸連が定めている規定よりも長すぎることを問題視。その結果、東京オリンピックはおろか、パラリンピックの舞台にも立つことができなかった。
リーパーは、当時をこう振り返る。
「私の人生は、インクルージョン(誰でも疎外感を感じることなく活躍できる包摂性)がすべて。オリンピックとパラリンピックを横断することができたら、パラスポーツだけではなく、すべての障害者に目が向く機会になると考えていたんだ。ただ、残念ながらそれは叶わなかった」
リーパーは先天的に両足の下腿部がなく、幼い頃から義足で過ごしてきた。義足の長さは彼の体格と障害の特性に合わせて製作されたものだったが、それがオリンピックからもパラリンピックからも排除される要因になってしまった。
「私の人生でこのような状況で障害者として排除されたのは初めての経験ではなかったけど、失望させられました」(リーパー)
その彼が2022年、世界パラ陸連の規定に合わせた義足で競技に復帰することを決意する。義足の長さを6インチ(約15センチ)も短くし、フォームも作り直すことを決めた。
問題は、どのメーカの義足を使うかだった。パラ陸上の競技用義足は、ほとんどの選手がアイスランドのオズール社とドイツのオットーボック社の製品を使用している。ところが、リーパーが選んだのは、日本の義足開発ベンチャー「サイボーグ」だった。同社の遠藤謙代表は言う。
「私たちの会社は資金が少ないので、アスリートのスポンサーになれるわけではありません。そのかわり、義足ユーザーとは常に一緒に新しい製品を開発するスタンスです。そのことを話すと多くのアスリートは離れるのですが、リーパーは『一緒にやろう』と言ってくれました」
遠藤さんは、大学を卒業した後に米国のマサチューセッツ工科大(MIT)に留学し、義足の研究と開発に没頭した。2014年にサイボーグ社を立ち上げると、2022年にサイボーグの義足で米国の選手が10秒53のタイムで世界記録を更新。後にドーピング検査で記録は取り消しになったものの、サイボーグの名は義足アスリートの間で広く知られるようになった。
ただ、サイボーグが目指すのは、オズールやオットーボックのような有名義足メーカーになることではないという。
「私は昔から、当事者やそれを支援する人たちと一緒にチームを組んで、みんなで解決法を探すやり方が好きなんです。MITのエリック・フォン・ヒッペル教授は、最も課題を抱えているユーザーは最も解決法を知っているが、それを実現するための手段がわからない。そこにいろんな人が集まって製品を開発することで、イノベーションが起きると言っていました。私たちはユーザーの顔の見える範囲で製品を作って、そこから少しずつ広がっていけばいいなと思っているんです」(遠藤さん)
義足技術の発展とともに、パラ陸上の記録は健常者に近づいている。一方、別の問題も起きているという。
「以前に比べて義足の製品のバリエーションが増えましたが、選択肢はまだ少ない。良い記録が出ると、アスリートはその選手と同じ義足を使いたがるのですが、体格も性別も違うのに、それが最適なものであるとは限らないんです。特に、女性は欧米のトップアスリートに比べて筋力が劣るので、別のメカニズムで走ったり、跳んだりしているはずで、それに合った義足はあるはずです。実は選手自身も『少し物足りない』と感じていても、具体的に何かはわからない。私たちは、それを一緒に探して、より良い義足を製作するためのサポートをしたいと考えているんです」(同)
遠藤さんの夢は、ウサイン・ボルトが2009年にベルリンで行われた世界選手権で樹立した100メートル9秒58の世界記録を、自ら製作した義足を装着した選手が破ること。
「私自身は、健常者の陸上と義足を使用したパラ陸上は別の種目だと思っています。オリンピックでも陸上競技と自転車競技があるように、世の中には義足を使った競技があるんだということです。ただ、義足の選手が健常者の記録を超える以前の問題として、そもそも競技人口が少ない。世界には、もっと有望なパラ陸上の選手がたくさんいるはずで、そういった国に義足を提供していきたい」
遠藤さんは今、競技用義足が普及していない国に積極的に出かけている。ラオス、インド、フィリピン、ブータン、今年にはアフリカのシエラレオネにも出かけた。今大会でも、タイの15歳の新生、ファラティプ・カムタも、遠藤さんが義足製作のサポートをしている選手のうちの一人だ。カムタは男子100メートル(T63=大腿義足使用)で12秒77で7位に入った。今大会で自己ベストを0秒24更新し、その若さからも今後の成長が楽しみな選手だ。遠藤さんは、こう話す。
「競技用義足の技術が発展していない発展途上国では、有望な選手がいても練習すらできない。それを、安価で高性能の義足が製造できるようになれば、競技人口がさらに増えるのは確実です。豊かな国の障害者だけがパラリンピックでメダルを取るのではなく、他の国の選手も良い成績を収めるようになれば、パラスポーツに大きな変化が訪れます。カムタには、健常者の元陸上競技選手がコーチについているので、記録はさらに伸びると思いますよ」
パラスポーツでは障害の重さによって不公平が出ないように、細かくクラス分けされている。ただ、同じクラスになっても障害の程度はさまざまで、完全に平等にすることは不可能に近く、「平等にした後の不平等」はパラスポーツの永遠のテーマだ。だからこそ、アスリートたちの障害の個性に適応した道具の開発が重要で、パフォーマンスの向上にも直結する。
義足を6インチ短くしたリーパーは、走り方を学び直し、フォームを変更し、新しいやり方でトレーニングを重ねている。義足も、彼の変化に合わせて今後も変化していくことになるだろう。リーパーは日本製義足で新しい挑戦をしていることについて「ケンは本当に良い仕事をしてくれているよ」と笑顔で話した。34歳の鬼才のアスリートは、パラリンピックの舞台で再び輝くための準備を着々と進めている。
取材・文:西岡千史