男子と互角に勝負する天才女性ストライカー・菊島宙 トップリーグ活躍の理由を脳科学から解く / パラスポーツ進化論
今年7月に発足したブラインドサッカー初の国内トップリーグ「LIGA.i(リーガアイ)」で、埼玉T.Wingsに所属する20歳の女性ストライカー・菊島宙(そら)選手が、男子選手を押しのけて得点王争いのトップに立っている。なぜ、菊島は男子選手と互角にプレーできるのか。本人の証言と「超適応」と呼ばれる最新の脳科学の知見から、その謎に迫る。
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「パラリンピック、出たかったなぁ」
今から約1年前の2021年8月24日夜、東京・国立競技場で開かれたパラリンピック開会式の生中継の音を聞きながら、菊島はそんなことを思っていた。
開会式では、日頃から一緒にプレーしているブラインドサッカーの仲間たちが日本代表として入場行進をしていた。菊島は、生まれた時から眼球の中で光を感じる神経の中心にある黄斑と、視神経が束となって脳に向かうための眼球の出口にある視神経乳頭の形成が不十分で、メガネをかけても視界はぼやけたまま。それでもこの日は、テレビ画面の数センチ前まで近づき、文字どおり「テレビにかじりついて」、晴れ舞台に立った仲間たちの顔をたしかめようとした。
「パラリンピックでブラインドサッカーが注目されたら、女子選手も増えると思うんです。目が見えなくてサッカーをあきらめた人も、ブラインドサッカーなら続けられる。目が見えない世界でやるサッカーの魅力が広まったら、競技をする人も増えるんじゃないかなと思ったんです」(菊島)
菊島は東京大会への出場は叶わなかったのは、実力が足りなかったからではない。ブラインドサッカーは2004年のアテネ大会からパラリンピックの正式競技になったが、出場できるのは男子のみ。女子チームの種目はないのだ。
女子の中では、菊島の実力は群を抜いている。2017年に初めて開催された女子の国際親善大会では、日本代表として全4戦に出場、チーム全得点の6得点を決めて優勝に導いた。
男子選手とも互角に渡り合う。今年7月18日に開幕した国内初のブラインドサッカーのトップリーグ「LIGA.i(リーガアイ)」では、男子選手に混じって埼玉T.Wingsのエースストライカーとして出場した。第一節のfree bird mejirodai戦では、2ゴールを決めてプレイヤー・オブ・ザ・マッチに選ばれた。
体格もスピードも勝る男子選手を相手に、激しい接触プレーを仕掛けるプレースタイルも観客を沸かせる。7月24日の第二節では、日本代表選手二人が出場したパペレシアル品川を相手に、相手選手3人に至近距離で囲まれながらも豪快なドリブルで突破して、ゴールを決めた。この試合でも2得点を獲得して勝利。天才女子選手の活躍に、ブラインドサッカーの関係者からは「日本代表に入って海外の男子選手とプレーする菊島宙を見てみたい」という声も出るほどだ。
男子選手を相手に、互角に勝負できるのはなぜなのか。菊島は言う。
「父が社会人リーグでサッカーをやっていて、小学2年生からチームに入ってサッカーを始めました。その頃は一番目が見えていた時で、視力が0.4ぐらい。それが、中学生になると0.1もないぐらいに下がったてきて。それでも仲間の選手の出す声や音を頼りにしてパスを出したりドリブルをしたりしていたんですけど、その時の経験を取り入れていることが大きいかなと思っています」
ブラインドサッカーでは、晴眼者が出場するゴールキーパーを除き、全員が目が見えないようにアイマスクを着ける。シャカシャカと音の鳴るボールを頼りにコート内の位置を把握し、ボールに近づく選手は「ボイ」と声を出すことがルールだ。ボールの音と選手らの声で空間を認識する能力が特に重要となる。
「ブラインドサッカーは『予想するスポーツ』なんです。音を頼りに自分の頭の中でボールの方向を予想して、それが的中すると『やっぱりこっちに来た!』ってうれしくなります」
本格的にブラインドサッカーに転向したのは中学1年生の時。その頃から男子選手に混ざって試合に出ていたが、最初の頃は恐怖心からコートのサイド部分から中央に入れなかったという。
「中学2年の時に、同じチームのキャプテンの加藤健人さんが膝をケガして試合に出場できなくなって、その時に『頼んだよ』って言われたんです。それで『やるしかない』と思って、コートの真ん中でパスを受けるようになったら、全体を走り回れるようになりました」
視覚を使えないブラインドサッカーは、音を集中して聞くことがプレーの中で欠かせない。この時、菊島選手に「スイッチ」が入ったことで、チームメイトからは「宙が覚醒した」と言われた。
菊島は自らのことを「負けず嫌い」だと分析する。試合中に味方選手がケガをしたり、点を取られたりしたときにスイッチが入ることが多いのだという。
スイッチが入った菊島選手は手がつけられなくなる。味方から出されたパスをトラップなしで対応して、ダイレクトシュートを放つ。その姿を目撃した人が「目が見えているのではないか」と言うほどだ。
なぜ、目が見えていないのにボールの位置がわかるのか。最新の脳研究では、ブラインドサッカーのトップ選手には、音だけで空間認知をする能力を高めるために、健常者では考えられない脳の変化をしていることがわかってきた。
アスリートの脳を研究している情報通信研究機構の内藤栄一氏は「パラスポーツのトップアスリートの中には、障害によって失われた機能を、残された神経リソース(資源)を最大限に生かすことで補っている選手がいる」と話す。内藤氏は、こういった能力を「超適応」と呼んでいる。
具体的にはこうだ。人間の脳には「高次視覚野」という場所がある。ここでは、目から入った視覚的な情報が統合されている。視覚障害者の場合、視覚情報の処理に高次視覚野を使うことがない。ところが、ブラインドサッカー界のスーパースターであるブラジル代表のリカルド・アウベス選手は、目が見えないにもかかわらず、自分が空間を移動している想像をするとき、高次視覚野を活発に働かせていた。また、空間(コート)の中で自分がどこに位置しているかの情報を処理する「脳梁膨大後部」も拡大していたという。内藤氏は続ける。
「脳が『超適応』を起こすには特殊な条件が必要で、すべてのパラスポーツ選手に起きているわけではありません。目の見えない選手が、長期間にわたって特殊なトレーニングを続けることで、初めて視覚認識に使われる脳が劇的な変化を起こすと考えられます」
前に述べたように、菊島は小さい頃から視力が弱かったが、健常者と一緒に音を頼りにサッカーの練習を重ねてきた。通常の選手が目を使ってボールを追いかけるところを、音を頼りに耳でプレーしていたことが優れた空間認識能力につながった可能性もある。内藤氏が言う「特殊な条件」でサッカーの練習をしてきた。
パラリンピックで19個のメダルを獲得し、車いす陸上の「絶対女王」と呼ばれるタチアナ・マクファデン選手も、「超適応」を起こした選手の一人だ。ロシア生まれのマクファデンは、幼い頃に車いすの入手ができなかったために、3歳から6歳まで逆立ちで生活をし、車いす陸上のトレーニングを開始したのは8歳からだった。こういった環境で生活していたために、本来は足を動かすための脳の領域が、手を動かすことに関与するようになった。内藤氏は言う。
「車いす競技の選手でも、私の研究に参加していただいた車いすバスケットボールや卓球の選手では、マクファデン選手のような超適応は起きていませんでした。車いす陸上では、自分自身を移動させる目的のために特化して手をトレーニングするのに対して、車いすバスケや卓球では、ボールやラケットの操作という本来の手の機能もトレーニングされます。足の領域が手の運動に関与するようになるためには、本来、足の領域が担う移動機能を手で行うような、長期にわたる専従的なトレーニングが必要なのかもしれません」
菊島の脳が、リカルド・アウベスのような「超適応」を起こしているかは実際に詳細な研究をしてみなければわからない。しかし、少なくとも幼い頃からの特殊なサッカー経験が、男子選手を凌駕するストライカーになれた要因の一つであることは間違いないだろう。
体格やスピードで男子選手に不利な菊島が、トップリーグで快進撃を続けていることに周囲の期待はさらに高まっている。サッカーの技術を上げるために、今はトレーニングジムに通って体幹トレーニングをし、男性選手との接触プレーに負けない体づくりをしている。それでも、菊島は謙虚にこう話す。
「やっぱり、男子選手に比べると体力的にも技術的にも劣っている部分がたくさんあります。それでも、どんなに厳しいマークがあっても、毎試合、1点、2点を取れる選手になりたい」
夢は、リカルド・アウベス率いるブラジル代表と対戦すること。そして、いつの日かパラリンピックに出場することだ。
トップリーグの最終節は、9月23日に東京都墨田区のフクシ・エンタープライズ墨田フィールドで開かれる。菊島は、トップリーグの初代王者とリーグMVPを目指して出場する予定だ。
文:土佐豪史