2児の母で理学療法士のフランス人柔道家
8月24日に開会した東京2020パラリンピック大会の選手名鑑には、全4,531人のプロフィールが登録されている。一人一人の選手には、それぞれみなドラマがあるはずだが、箇条書きのテキストだけでは、選手の魅力を感じるのは難しい。
《カナリア諸島のリトルマーメイド》《北欧発 奇跡の人馬一体》《パラリンピックに舞い降りた最強の不死鳥》
好奇心をくすぐるタイトルで、これまで40人もの選手を日本に紹介してきた番組がある。
WOWOWがIPC(国際パラリンピック協会)との共同プロジェクトとして制作しているドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」だ。言葉の壁も超え、25ヵ国・40組のアスリートの現地の暮らしを丸ごと伝える長編作品だ。全選手を見ると、さらにその選手に聞きたいことが出てくる。そこで、「WHO I AMを見ました」と海外選手に取材することにした。
理学療法士 × 柔道家 × 母
《2児の母であり、 理学療法士としての顔も持つ世界最高の柔道家のひとり》
そう紹介されているのは、前回のリオ・パラリンピックの柔道女子52キロ級の金メダリスト、サンドリーヌ・マルティネだ。日本で理学療法士といえば、病気やケガの回復を促すリハビリを担当する国家資格があるほどの職種だが、そんな仕事をしながら現役のアスリートを続ける柔道家とは、いったいどんな選手なのだろう……。
「WHO I AM」のタイトルは、「フランス柔道の最高傑作」。コロナ禍のパリの街並みから、道場での練習風景が映され、子育てをしながら理学療法士として患者のマッサージにあたるサンドリーヌの姿が描かれていた。
その中で、彼女は東京大会に向けてこう力を込めて語った。
「私を支えてくれたのは、両親と夫、子供たち。彼らの心に、永遠に残る私を刻む。これが最後の戦いだから」。
パラリンピックの旗手を投票で決める!?
家族の心に「私」の姿を刻む。そんなサンドリーヌの姿は、すでにパラリンピックの開会式にあった。自由・平等・博愛の精神を表現したトリコロールカラーの国旗を手にしたサンドリーヌは、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」さながら、146人のフランス人選手団を代表して、旗を振った。
「投票で選ばれ、責任感も生まれ、臨場感と高揚感で試合へのモチベーションが高まりました」とサンドリーヌは開会式を振り返る。
「投票」とはいったい何か。フランスパラリンピック委員会のインスタグラムを遡ると、「史上初!パラリンピックの旗の担い手を決めるのはあなたです」というキャンペーンが目に入った。担い手とは、開幕式の旗手のこと。フランスは今大会、開会式の“顔”ともいえる旗手を一般からの投票で選出した。
旗手といえば、各国のパラリンピック委員会が選定するのが一般的だ。選ばれる基準といえば、実績とネームバリュー(知名度)で、「あの人なら納得」的なところだろう。しかし、フランスは開会式の“顔”を票数で決める。民主主義の国らしい決め方だ。当選枠は2つ。7人の強者から勝ち抜いたのはサンドリーヌだった。
”憧れの国”で勝利を手にする
8月27日。日本武道館に行くと、サンドリーヌの姿があった。柔道女子48キロ級。凛々しい表情で道場に立つフランスのエースは、小柄ながら堂々とした風格で初戦を迎えていた。相手はこのクラスの前回大会金メダリストの李麗仙(中国)。開始してまもなく寝技に持ち込み、一本勝ちで初戦を白星で飾った。
初戦を終えた感想を聞こうと待ち構えていると、ミックスゾーンと呼ばれる取材ブースに爽やかな表情でサンドリーヌが現れた。どんな気持ちで試合に臨んだか聞くと、意外な答えが返ってきた。
「憧れの地である日本で、絶対に勝つという気持ちで試合に臨みました」。
彼女にとって、日本は特別な存在だった。「私が力を発揮できた柔道を生んだ国です。その国で勝利を手にすることは何より誇らしいことです」。
サンドリーヌは、9歳から柔道を始めた。生まれながらに視覚障害があり、極度の近視と乱視、まぶしさも感じやすかった。サングラスをかければいじめられたが、「畳の上では健常者とも平等に戦える」。それがサンドリーヌにとっての柔道だった。2004年のアテネ大会と2008年の北京大会で銀メダル。2016年のリオ大会では金メダル(52キロ級)を獲得し、今大会に臨んだ。
続く準決勝も一本勝ちで勝ち進むサンドリーヌ。フランス代表のコーチのシリル・パジェスは、「いままでの経験が生きている。安定感のある組み手が取れて、理想以上の仕上がりです」と決勝戦に向かうサンドリーヌの背中を押した。
そして迎えた決勝戦。相手は18歳年下のシャハナ・ハジエワ(アゼルバイジャン)だった。前半に技ありを先取されながらも冷静さを失わず、終了間際に追いつくと、ゴールデンスコアの延長戦に。
「なんとかギリギリで追いついたが、難しい試合だった」。
果敢に足技で攻めたところを返され、サンドリーヌの背中が畳についた。
「金メダルが取れると思っていたし、金メダルはみんなから期待されているのもわかっていた。本当に悔しかった」。
「最後の戦い」が決した瞬間だった。サンドリーヌは泣き崩れた。
今を楽しむ!
敗者に取材をするのは、勇気がいるものだ。準備をしていた質問を見ると、勝利を想定していたものばかりだった。
何を聞いたらいいのか。サンドリーヌのプロフィールを改めて見ると、「philosophy(哲学)」の欄に「Carpe Diem」という言葉があった。フランス語の通訳を手伝ってくれたボランティアにこの言葉を尋ねると、「ん?フランス語ではないですよ」と返ってきた。調べると、ラテン語由来の言葉で「今を楽しむ」とあった。
表彰台に上ったサンドリーヌは胸を張っていた。銀メダルを持ち、観客席のスタッフに手を振る表情には、試合後の悔しさは一片も感じられなかった。
表彰式を終え、晴れやかに取材ブースに現れたサンドリーヌは、私の質問にこう答えた。
「いつまでも泣いているのはもったいない。『今を楽しむ』。悔し涙を流すよりも、誇りを持ちたい。銀色だって、よく見れば素晴らしい色よ」。
< 試合後のインタビュー全文 >
ーー「WHO I AM」を見て、開会式から注目していました。今回の結果をどう受け止めますか?
決勝戦は試合運びが難しかったです。何度も諦めかけたが追いつけました。最後は残念だったが、気持ちを切り替えました。ほら、銀色だって、よく見れば素晴らしい色よ。
ーーこの大会が本当に「最後の戦い」なのですか?
この場ですぐ結論は出せませんが、現実的には続けるのは年齢的にも体力的に厳しいです。やりたいという気持ちがあるけど難しい。これまで犠牲にしてきた家族を大切にしたいし、やりたいこともたくさんあります。
ーー現役時代からアスリートでありながら、理学療法士を続けられています。二つを掛け持つのは、大事なことだったのですか?
選手は競技にすべてを注ぎ込むもので、人生そのものです。それを手放すのは本当に怖いです。引退は次の目標を失うこと、暗闇の中に行くことを意味します。二つのキャリアを持つことは、精神的な強みになります。引退をしても、理学療法士の道があります。そういう私でも、引退は怖い。人生をかけて競技に臨んでいる選手はみな同じだと思います。
ーー「今を楽しむ」という哲学をもっているそうですね。
これまで4つのメダルを手にして、38歳でこの場に立てている自分を褒めるべきだと思うし、勝利に値するものだと思います。そして、柔道を生み出した日本に来たいと思う選手たちがたくさんいますが、私はここで試合ができました。
金メダルを逃した時は悔しくて涙が出ましたが、そういう辛い時に「今を楽しむ」と自分に言いきかせています。いつまでも泣いているのはもったいない。悔し涙を流すより、誇りを持ちたい。このインタビューを受けている今は、悲しさよりも楽しもうという気持ちが大きいです。
今は両親と子ども、パートナー、コーチ、試合を見てくれていたみなさんに御礼を言いたいです。
(取材・文:上垣喜寛/写真:越智貴雄/通訳:赤須由佳)