目の見えない子どもが生まれて、そこから切断ヴィーナスショーの演出家になるまで──澤田智洋×越智貴雄対談
さまざまな個性を認める「ダイバーシティ(多様性)」、ハンディキャップを持つ人が社会参加する「インクルージョン(包摂)」。最近よく聞く言葉だけど、「権利を守ろう」と説教されているようで、何だか息苦しさを感じてしまう……なかにはそう感じる人もいるのではないでしょうか。でも、難しく考える必要はないんです。マイノリティの人たちと共に生きることの意味とは何か。『マイノリティ・デザイン 弱さを生かせる社会をつくろう』の著者で、視覚障害のある子どもを持つコピーライターで世界ゆるスポーツ協会代表理事の澤田智洋さんと、21年間パラスポーツを撮影取材し義足女性の写真集『切断ヴィーナス』を撮影したフォトグラファーの越智貴雄さんに多くの人に知られていない〝もう一つの世界〟を語ってもらいました。(Part1)*対談は全3回
越智:息子さんの目が見えないとわかったのはいつだったんですか?
澤田:生まれたのが2013年1月で、3カ月経っても目が合わない。それで近所の眼科に連れて行くと視覚障害があることがわかりました。それが13年5月でした。正直、ショックでした。そこから検査や入院で忙しくなって、ようやく落ち着いたのが9月ぐらい。
でも、その時にふと思ったんです。「あれ、この子はコンビニに一人で行けるようになるのかな?」「自動販売機はどうするのかな?」って。どうすればいいのか、何を教えればいいのか、自分ではまったくわからない。
越智:たしかに、何もわからない。
澤田:それで、「障害のある人やその関係者の人たちに片っ端から会いに行こう!」と決めたんです。結果として200人に会ったんですけど、その一人が越智さんだった。
越智:そうだったんですね。たしか、最初に会った時にパラリンピック・スポーツのアスリートと話す機会が欲しいという話をされたような……。
澤田:越智さんがパラリンピックについて語る講演会があって、主催者が知り合いだったから、後日に会わせてもらったんです。
越智:そうそう。どこかの会議室で打ち合わせをしている時に、澤田さんが突然途中で現れて、途中でいなくなっちゃった。
澤田:失礼な人だ(笑)
でも、越智さんから紹介されて、いろんな障害のある人と会ったんです。すると、福祉の世界にどんどん惹かれていったんですよ。
たとえば、ビジネスパーソンたちと飲みに行くと、会話の内容ってある程度わかっちゃう。特に同じ会社とか同じ業界の人だと、行く前から「あのプロジェクトの話かなあ」とかわかるじゃないですか。
越智:結末のわかっているスポーツの試合みたいな。
澤田:障害者の人や福祉関係で活動している人と飲みに行くと、毎回、思わぬ学びや発見があるんです。それぞれ何らかの傷を背負っていて、同時に工夫をしていて、現在進行形で戦っている。「目が見えないと、バス停で待っているときに、次来たバスがどこ行きかわからないんだ」など、今まで見えなかった世界が見えるようになったんです。
越智:他には、どんな学びがありましたか?
澤田:あと、これは諸説あるみたいなのですが、ライターは戦争で片腕を失った人でも使えるように発明されたもの、という話を聞いたり。先端が曲がるストローは、寝たきりの人でも飲み物が飲めるように開発されたものだそうです。そんなこと、まったく知らなかった。
それで思ったのは、人間は「弱さ」を持っているけど、それを活かすことで世の中に変化を起こしてきた歴史があるということです。
越智:(写真集、カレンダー、ファションショーの)切断ヴィーナスのモデルになってくれている女性たちって、使命感が強いんですよ。自分たちが表に出ることで、世の中が変わるかもしれない。いろいろ言われることもあるけど、それでも表に出ようとしている。
澤田:僕は、福祉の仕事にも興味を持つようになりました。だって、福祉業界の人って、よく考えると人間の話ばかりしているんですよ。人間は、誰もがただ一人のユニークな存在ということを前提にして、困った時はその人を変えるのではなく、周囲の環境を変えていく。
それまで広告マンとしてやってきた仕事は、極端にいうと「あなたに10億円を預けるから、売り上げを105%にして」みたいな感じなんです。僕はそういったゲームみたいな仕事は以前から好きではなかった。人のためにやっているというよりも、数字のために仕事してるんじゃないかという思いが、どこかにあった。
越智:それまでの仕事ではなかった経験だったんですか?
澤田:まったく逆の発想。
越智:パラスポーツに関係する仕事を始めたのはいつからだったんですか?
澤田:障害者に関する仕事を始めたのは2014年の春ぐらいかな。200人の人たちと会っている時に、いろんな知り合いができた。その一人が、日本ブラインドサッカー協会事務局長の松崎英吾さんで、ブラインドサッカーのブランディングを頼まれたんです。
それでいろいろと考えていた時に気づいたのが、ブラインドサッカーって「目をオフにする体験」なんですよね。
越智:「目が見えない人の競技」ではなく、「目を使わない競技」ですよね。
澤田:そう。僕たちは、いつもいろんなものが「オン」になっていて、実は、見えていないものがたくさんあるんです。
スマホが気になって仕事にも集中できない。でも、それを「オフ」にするだけで集中できて、落ち着く。ブラインドサッカーって体験してみるとわかるんですけど、何かをオフにすることは素晴らしいことなんです。
それでできた大会のキャッチコピーが、「見えない。そんだけ。」でした。
越智:あの大会のポスターは印象的でしね。かなり話題になっていました。
澤田:その後ですよね。越智さんから切断ヴィーナスの写真集に登場したモデル達でファッションショーをやるという話が来たのは。
澤田:たしか、2015年のお正月に電話かかってきて……。
越智:そうそう。お正月に、澤田さんと一緒にファッションショーをする夢を見たんです。
澤田:そんな理由だったんですか(笑)。今でも覚えてますよ。正月の三が日が明けてすぐぐらいだったと思うんですけど、ワンコール鳴って越智さんの名前が出た瞬間に、「これは今年は忙しくなるな」と(笑)。それで、電話を取ると「相談したいことがあるんです」って。
越智:さすがに電話でいきなり「ファッションショーの演出をやってください」なんて言うのは失礼かなと思って、義足のファッションショーの生みの親で、義肢装具士の臼井二美男さんと一緒にジョナサンで会う約束をしたんですよね。
澤田:正月ボケで、家に財布を忘れて、手ぶらでジョナサンに行ったんですよ。
越智:そうでしたよね(笑)。あの時は、2015年2月にアジア最大級のカメライベントである「CP+(シーピープラス)」でファッションショーをやることが決まっていた。
でも、問題があったんです。実は、その前にも義足のファッションショーはやったことがあったんですけど、臼井さんも僕も演出に関与できなかったんです。ショーのスタッフは、演出家もスタイリストも、スタッフはみんなプロの人。だけど、僕としては企業やブランドのイメージに、切断ヴィーナスのモデルたちが一つの色に染められているように思ったんです。
澤田:モデルはいろんな「色」を持っている人たちなのに、企業が演出したい一つのイメージに染めちゃったということですよね。
越智:それなんです。僕は、写真集をつくった時も、どんな衣装で撮影したいか、場所はどこがいいかということについて、モデルさんから話を聞いて、それから撮影するんです。義足についての考え方も人それぞれで、機能性を重視する人もいれば、オシャレを追求する人もいる。だから、一つの色で染めたくなかった。
澤田:企業の広告をつくる仕事って、あらかじめクライアントのブランドイメージがあるんです。それで、「ほんわか系ならこの芸能人」「クール系ならこのモデル」みたいな感じで企業に合わせて人をキャスティングしていく。でも、切断ヴィーナスのモデルさんは、そういうのには合わないですよね。
越智:まさしくそれなんです。その時の話では、澤田さんは「ファッションショーの演出なんてやったことないから素人ですよ」と言っていて。
それでも最後に「やります」と言ってくれた時は本当にうれしかった。澤田さんとは、一緒にいるだけでエネルギーがもらえるんですよ。
澤田:僕はいつも周りから無気力だって言われるんですけどね(笑)。
越智:ファッションショーの演出では、どんなことを重視したんですか?
澤田:普通のファッションショーなら、モデルがウォーキングで登場して、ステージの端まで歩いてポーズを取って、すぐにいなくなる。でも、義足の女性たちは、そんなに速いスピードでなめらかに歩けないし、ステージの広さにも限りがあった。
それに、カメライベントだから、みんな写真を撮りたい。だから、動きよりも途中でしっかり30秒ぐらい止まって、写真を撮ってもらった方がいいんじゃないかなと思ったんです。
あとは、モデルたちをそれぞれの特性に合わせてカラフルにすること。そこからキー・ヴィジュアルやパンフレットなんかも作っていきました。
越智:その発想はまったくなかった。
澤田:でも、これは臼井さんや越智さんが考えていたことを、僕は形にしただけなんです。広告の仕事って本来そういうもんなんです。
それまでにも、障害のある当事者や福祉関係の人から言われたことがあったんです。障害者の人たちが企業と一緒に活動すると、企業の色に染められて、自分たちが思っていることとはまったく違うイメージになると。
切断ヴィーナスのショーでは、僕は当事者ではない。まずは、そこに気をつけようと考えた。「当事者の思い」を表現するために、どんなサポートができるか。
でも、それって広告マンの本当の仕事だと思うんです。世間的には、広告マンって「オラオラ系」のイメージが強いでしょうけど、本来はもっと献身的な仕事なんです。
越智:当日のショーは2回。1回目は大変でしたね。
澤田:会場にお客さんがたくさん入りすぎて、みんなびっくりしちゃった。それで、メインステージで30秒間立つはずなのに、それに耐えられなくて、みんな早く帰ってきちゃった。
越智:でも、お客さんの反応はものすごくよかったんです。義足の女性がモデルということで評判になって、2回目には通路に人があふれちゃった。それで主催者から入場規制が入り……。
澤田:1回目のショーは、全員がバタバタしていて、みんなと話をする時間がなかったんですよ。あれメイクができてない、小道具がない、それでバタバタしてショーに出て、みんなあわてて帰って来ちゃった。それでみんなちょっと落ち込んでたんですよね。
越智:その時ですよね。澤田さんが、魔法をかけてくれた。
澤田:2回目は始まる前に円陣を組んだ。
越智:その時の言葉、覚えてますか?
澤田:覚えてますよ。まずは1回目のショーは素晴らしい反応だったということを伝えました。そのうえで、「みなさん、これまでの人生でいろいろあったと思うけど、大丈夫です。世界はみなさんの味方だから。世界は自分のものだと思って堂々とやってきてください」と。
越智:澤田さんがヴィーナスたちに魔法をかけたって話題になってました。
澤田:エセ魔法使いって楽しいじゃないですか(笑)。その言葉がどれだけ効果があったかはわからないけど、僕としてはそれが正直な気持ちだったんですよ。
越智:演出の部分では、澤田さんの存在がなかったらここまではできなかった。それから切断ヴィーナスショーは14回やることになるんですけど、あの時がすべてのスタートでした。
澤田:ショーが終わった後にメディアのインタビューを横で聞いていたんですけど、モデル全員が「誰かのためにステージに立った」という話をしていましたね。
越智:モデルになってくれた小林久枝さんは、自分が表に出ることで、誰かの背中をそっと押せるようになればいいなと思って協力してくれたと話していました。これは、みんなに共通した思いでした。
事情は違うけど、足を切断した時はみんな「人生が終わった」と思うほどの辛い経験をしている。でも、そこからリスタートした人がいる。そのことが伝わる人には伝わったんじゃないかなと感じました。みんなそれぞれに目的を持っていて、それも自分のためではなかった。
澤田:本当に辛い思いをした経験から出た言葉ですよね。だからこそショーにも迫力が宿っていました。
越智:使命感みたいなものを持っていると感じましたよね。
PART2へ続く・・・
(文:土佐 豪史)