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パラコラム

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コロナ禍で競技人生をかけて決断した、スイス合宿でつかんだ自信 パラ陸上・渡辺勝

4年前、大きな期待を寄せられながら、パラリンピックの舞台に立てなかった渡辺。東京パラにかける思いは人一倍強い(撮影:越智貴雄)

4年前、大きな期待を寄せられながら“世界最高峰の舞台”にたどり着くことができなかったランナーがいる。パラ陸上の渡辺勝(凸版印刷)だ。ベテラン勢が多くを占める日本国内の車いすマラソンレース界で、トップレベルの実力を持つ若手の一人として著しい成長を見せてきた渡辺。しかし、2016年リオデジャネイロパラリンピックへの切符をつかむことはできなかった。もちろん、二の轍を踏むつもりはない。人生をかけて追い求めてきた東京パラリンピックへの切符。その本気度は、このコロナ禍でも薄れることはなかったーー。

計り知れなかった東京パラ延期で受けたショック

東京パラの延期が決まり、すぐに気持ちを切り替えられなかったという渡辺(撮影:越智貴雄)

「あと1年……」
今年3月30日、東京オリンピック・パラリンピックの1年延期のニュースを目にした瞬間、渡辺は大きなショックを受けていた。もちろん、中止にならなかったことには安堵した。ただ、すぐに気持ちを切り替えることなどできなかった。それほど今夏にすべてを懸けて、身体も心もつくってきていた。

「東京が延期となったことを知った時は、正直気持ちの落胆は大きかったです。すごくしんどい思いをしながらトレーニングを積んできて、その成果が表れ始めて『よし、ここから切符獲得に向けてもう一つギアを上げていこう!』と思っていた矢先での1年延期でしたから……。ショックでしたし、また1年も同じ思いをするのかと。いや、これまで以上のことをやらなければいけないのかと思ったら、自分の気持ちが完全に切れました」

出場を予定していた3、4月のレースが次々と中止となるなか、4月7日には非常事態宣言が発令された。自宅での自粛期間中も、まったく走る気持ちにはなれなかった。「とりあえず走っておこうか」というような中途半端な考えを嫌う渡辺は、約1カ月半もの間、トレーニングはほぼゼロに近く、家族との時間を中心にして過ごした。

東京パラ出場に向けて、トレーニングを重ねてきた渡辺(撮影:越智貴雄)

しかし、それは自分を信じていたからにほかならなかった。
「絶対に走りたくなる時がくる」
心技体が一つの方向に向かう“その時”を静かに待っていた。

やがて、気持ちは競技へと向かっていった。
「こうなった以上、やるしかないよな」
自分の気持ちが少しずつかたまっていくのを確認しながら、5月に入ると徐々にトレーニングを再開させていった。

コロナ禍での単身スイス遠征への決意

今年7月、単身スイスへ向かった渡辺(撮影:越智貴雄)

渡辺の元に海外からレースへの招待メールが届いたという知らせが来たのは、ちょうどそのころだった。メールの送り主は、リオパラリンピックで800mとマラソンで二冠を達成した世界トップランナーの一人、マルセル・フグ(スイス)だった。「8月にスイスで行われるローカル大会に日本人選手も3人までなら出場枠を用意できる」という内容で、どうやら何人かの日本人選手宛てに送ったようだった。

渡辺は早速、フグに返信をした。レースに出場するだけでなく、長期での合宿をさせてもらえないだろうか、という依頼だった。すぐにフグと彼のコーチから快諾の返事をもらった渡辺は、準備にとりかかった。

5月といえば、日本国内では感染の広がりが徐々に落ち着きを見せ、26日には緊急事態宣言が解除されている。スポーツ活動も少しずつ再開しつつあった。とはいえ、まだ収束には至ってはおらず、継続して注意喚起されていたことは言うまでもない。一方、感染の広がりはアジアから欧米へと移り変わっており、連日ニュースではアメリカやフランス、イギリスなどでは感染者数が激増し続けていた。

そんな状況の中、もちろん渡辺もスイスに行くことで大きなリスクを負うようであれば、中止せざるを得ないと考えていた。感染すれば、自分だけでなく周囲に迷惑をかけることになる。幼い子どもを持つ父親でもある渡辺は、ある程度の安全を確認する必要があった。

そこでインターネットでスイスの状況を調べたり、フグに現地の様子を聞くなどして、情報収集に努めた。外務省のホームページを見てみると、同じヨーロッパでもスイスは場所にはよるものの、比較的感染が抑えられており、特にトレーニングの拠点となる州は、出発する夏には渡辺が暮らす福岡県とほとんど変わらない状況にまで落ち着いていた感じだったという。さまざまな情報を得て、渡辺はスイス行きを決意した。

もちろん、自分勝手に決めるわけにはいかない。家族にも会社にもスイスの状況などを丁寧に説明し、了解を得た。会社の上司には、こうスイス行きの理由を伝えた。

「今は国内では活動が制限され、大会もすべて中止となってしまったなか、長期間にわたって世界王者であるマルセル選手と一緒に思い切り練習できる環境がスイスにはあります。その機会を逃したくありません。自分の競技人生において絶対に必要なことなので、どうか行かせてください」

そんな渡辺の思いに理解を示してくれた上司のおかげで、会社からの許可を得ることができた。7月、渡辺は家族や会社への感謝の気持ちを胸に、単身スイスへと渡った。

近付き始めた世界王者の背中

スイス合宿で手応えを掴んだという渡辺(撮影:越智貴雄)

渡辺が調べた通り、スイスは隣国のフランスやドイツ、イタリアと比較すると、感染が抑えられていたため、新型コロナウイルスによる重苦しい雰囲気はまったく感じられなかったという。スイスの玄関口、チューリッヒ国際空港に到着後も、検査が行われたり隔離されるようなこともなく、拍子抜けしてしまうほどにスムーズに入国することができた。さすがに大きな街では、マスクをした人の姿が多かったが、トレーニング拠点となった小さな町では、マスクをする人は皆無に等しかった。

それでも渡辺は万が一の為に、外に出かける際には必ずマスクをつけた。
「スーパーマーケットの中でさえも、マスクをしているのは僕一人でした。いかにも外国から来たっていうのがバレバレでしたでしょうね(笑)」
日本と同じ感染対策を心がけながらも、世界がコロナ禍であることを忘れそうになるくらいにゆるやかな空気が流れていたことで、気持ちは自然とトレーニングに集中した。

では、2カ月に及んだ金メダリストとの合同合宿での手応えはどうだったのか。はじめは、渡辺自身が3、4月と休養期間にあて、十分にトレーニングを積んでいなかったこともあり、フグとの差は決して小さくはなかったという。しかし、終盤にはどんなメニューにおいてもフグとしっかりと競ることができるようになっていた。

渡辺は「詳しいトレーニングメニューは言えませんが」と前置きをしたうえで、こう語ってくれた。

「もともとスプリントでは、マルセル選手ともある程度いい勝負ができていました。ただ、それが少し長い距離を走った後のスプリントだったり、スピードの上げ下げを繰り返したラスト1本となると、正直最初は手も足も出ない感じでした。でも合宿の終盤には、例えば200mのタイムトライアルでもしっかりと最後まで競れていました。また、長い距離でのインターバルでは交互にローテーションしながら走るのですが、自分が前で走った後にマルセル選手が前に出た時も、ここが一番きついのですが、そのまま引き離されるようなことはまったくありませんでした。もちろんマルセル選手は世界王者ですから、自分よりも力は上であることは間違いありません。ただレースではうまくいけば勝てるかもしれない、そんな手応えを感じながら合宿を終えました」

ロンドンマラソンで生まれた課題

トレーニングの様子(撮影:越智貴雄)

そして、渡辺はロンドンへと向かった。今年最後の国際レースとなったロンドンマラソンに出場するためだった。今大会はエリートの部に限られての開催となり、車いすの男子の部には世界から11人のランナーが集結。フグをはじめ、東京パラリンピックで金メダル候補のランナーもそろっていた。

10月4日(現地時間)、雨が降りしきる中、レースはスタート。結果は4位だった。ゴールした直後、出てきたのは大きな後悔の念だったという。それは「チャレンジャーになりきれなかった自分」へのものだった。

この日のレース中、渡辺が誰よりも強さ感じていたのは、ブレント・ラカトシュ(カナダ)。他を寄せ付けない圧倒的なスプリント力があることを感じていたという。そのブレントを筆頭に、6人という大集団の中で迎えた最後のスプリント勝負で強さを発揮するのは、デイビッド・ウィア(イギリス)とフグに加えて自分の4人だろうと考えていた。「ポジション次第では表彰台を狙える。特にずっと一緒にトレーニングを行ってきたフグには勝てる可能性も感じていた」という渡辺。だからこそ、最後の最後、スプリント勝負になる前の段階で有利なポジションにいることが必須だった。

だが、渡辺は4番目の位置にいる中での最後のスプリント勝負を迎えた。その理由をこう語る。

「もし6人という大きな集団ということを考えずに、ブレント選手、デイビッド選手、マルセル選手との勝負に集中していたとしたら、僕はきっと彼らの前に出て、先頭で最後を迎えようと考えていたはずです。そうして最後のスプリント勝負で、自分がどこまで耐えることができるのか、そこにチャレンジしていたと思うんです。ですが、その時の僕は余計なことをいろいろと考えてしまって……。結局、彼らとの勝負だけにチャレンジできなかった自分がいました」

予想通りブレントはあっという間に後続を引き離し、それに次いでデイビッドが2位をキープ。渡辺はフグに並ぶことはできたが、前に出ることができず、タッチの差で表彰台を逃した。

「“こういう負け方だけはしたくない”という、今考えてもくだらないし、渡辺勝というアスリートにとってはまったく要らない感情なんですけど、そういう考えが働いてしまって、勝つことに徹することができませんでした。そういう弱さが出てしまったことが、とにかく悔しかったし、自分が情けなかったです」

しかしプラスに考えれば、こうした経験をしたこと、自分の弱さに気づくことができたロンドンマラソンは、渡辺の伸びしろにつながるはずだ。そして、スイスに行くことを決意し、2カ月に及ぶ合宿で手応えを感じたからこそ生まれた課題でもある。渡辺が自分自身に自信や強さを感じていなければ、これだけの後悔の念は出てこなかっただろう。それを彼自身が一番感じているに違いない。

東京パラの切符獲得を狙う大分車いすマラソン

力走する渡辺(撮影:越智貴雄)

東京パラリンピックまで1年を切った今現在、パラ陸上界は選考期間中の真っただ中にある。とはいえ、今後国内外で大会が開催される見通しは立っていない。そんななか、渡辺にとって最も東京に近いと言えるマラソンにおいては、現在のところ11月15日に開催される「大分車いすマラソン2020」(地上波BS-TBSにて9時55分から生中継あり)
が最後のチャンスとなる可能性が高い。

このレースで、WPA(世界パラ陸上競技連盟)の東京パラリンピックマラソン参加資格ランキング(2019年4月1日~2021年4月1日)6位以内に入り、すでに出場資格を有する4人の選手を除き上位2人以内に入れば、切符獲得はほぼ確実となる。現在その上位2人は、ランキング1位のアーロン・パイク(アメリカ)と同3位のパトリック・モナハン(アイルランド)。彼らを上回るタイムを出せるかがカギとなる。

最終的に余った枠を各国に振り分けられるハイパフォーマンス枠で選出される可能性もある。だが、ハイパフォーマンス枠はマラソンに限らず全種目から、「メダルや入賞の可能性がある選手を選出する」というJPC(日本パラリンピック委員会)の基準が大前提とされている。さらに、その振り分けられる枠数も、JPAの予測では非常に限られ、ハードルは高い。そのため、マラソンで確実に出場枠を取るためには、マラソン参加資格ランキングで上位2名に入ることが求められる。

渡辺は現在、男子マラソンの参加資格ランキングでは7位タイ(1時間24分00秒)で、日本人ではすでに内定している鈴木朋樹(トヨタ自動車)を除いて日本人トップに立っている。9位以下には同じ24分台の日本人選手が6人も続いており、熾烈な争いが予想されるが、渡辺は彼らに勝ったうえで、少なくともモナハンが持つ1時間22分23秒を上回ることが必要となる。

果たして、渡辺は大分でのゴールを、世界最高峰の舞台へのスタートラインとすることができるかーー。マラソンで東京パラリンピックの出場を狙う車いすランナーにとって最大の勝負となる今回の大分車いすマラソン。11月15日10時、号砲とともに熱き戦いが始まる。

(文・斎藤寿子)

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