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98歳でハーフマラソンに出場した工藤金次郎選手 沿道を沸かす!【大分国際車いすマラソン】

坂を上る工藤選手と声援を送る沿道の人たち(撮影:越智貴雄)

 第43回大分国際車いすマラソンが17日行われ、パラリンピックのメダリストら国内外から集まった190名の選手が大分の街を駆け抜けた。

 その中でもひときわ注目を集めたのは、今年のハーフマラソンで42回目の出場を果たした最年長参加者である98歳の工藤金次郎選手だ。第1回大会から出場し、怪我で欠場した1回を除き、大会に連続出場している。今回も工藤選手の挑戦に、沿道からも大きな声援が送られた。


昨年大会までは、競技用車椅子を使用し大会に参加していた(撮影:越智貴雄)

 がんを患い片方の肺を摘出し心肺機能が低下してからも、出場し続けている工藤選手。スタート地点の大分県庁前から舞鶴橋の坂の途中まで約800メートルを、車いすの背面に空気タンクを取り付け、鼻にチューブを装着した状態で力走しリタイアしたが、昨年より、距離を伸ばしている。沿道からの多くの声援を背に車いすで大分の街を駆け抜けた工藤選手は、「大分は、観客の声援がすごい。こんな場所はどこにもない。特別な場所」と話す。

 徳島県在住の工藤選手は、42歳の時に建設現場での作業中の事故で脊髄(せきずい)を損傷し、車いす生活になった。関係者の誘いで1981年に開かれた第1回大分国際車いすマラソンに出場したことがきっかけで、競技を始めた。
 
 レース後、長年この大会に参加してきた工藤さんに、今回のレース後の感想やこれからついて、お話を伺った。

ハーフマラソン、スタート直後の工藤選手の様子(撮影:越智貴雄)

工藤金次郎選手、レース後の一問一答

―今日のレース、どうでしたか?


「まあまあかな。初めて使う(これまで使っていた競技用タイプではない)車いすで走ったから、慣れんかった。いつも乗ってるやつなら皆についていけたんやけどな。まあ、慣れない車いすやったわ(笑)」
 
―でも坂をしっかり登っていましたよね?


「ゆっくり行けばね、(上り坂を越えての)舞鶴橋も渡れたけど、無理をすると、あとで体がまた悪うなるからね。体を使い過ぎると元へ戻れんのよ。また来年、来るために、今日はここ(上り坂の途中)で止まっておこうと」

沿道からの声援に力走する工藤選手(撮影:越智貴雄)

―沿道から多くの人が並走するぐらい応援がすごかったですが、どう感じましたか?


「ものすごく嬉しかったよ。最後まで私一人に応援してくれる。応援があると無意識に応えようとするもんよね。みんなが『頑張ってよー、金ちゃん』って言うてくれたら、こっちも一生懸命になれる。応援の声は、ちょうど我々を励ましてくれる音頭みたいな感じやね。今日も坂を少しでも登れたのは、応援のおかげ。応援があるからこそ『よっしゃー』ってなるもんね。」
 
―今日の天候はどうでしたか?


「今日は天気は良かったけど湿度が高かった。肺の病気をした者には堪える。酸素が少ないから、ボンベを使って走るけど、帰りもあるからあまり出せんのよね。マラソンは休む時間がないから、休まないで体力が続く限り走るんよね。でもそこがマラソンの魅力なんよね」
 
―大分の応援は特別ですか?


「大分は昔から特別やね。1回目の大会ではまだみんな(障害のある人がスポーツをすることへの)理解が難しかったみたいやけど、その後(参加者と観客が)どんどん増えていって、名前まで覚えてくれるようになった(笑)。応援があるとやっぱり励みになる。応援がなかったら、むきになって走らんもん」

坂道に挑む、工藤選手の様子(撮影:越智貴雄)

―来年に向けてという思いはありますか?


「まあ、生きとらなしゃーないけどね(笑)。高齢やけん、いつ逝くやらわからんけど、生きとれば必ず来る」
 
―必ず来ますか?


「挑戦はする。速かろうが遅かろうが関係ない。参加することに意味があるけえ。年が若かったら『絶対来る』って確約するけどね。これだけ高齢になると明日の命がわからんのよ。また来れるように頑張ります」
 
―来年99才ですよね?
 
「自分の考えでは、せめて100才までは出場したいと思っとる。以前、大会を皇室の方が見にいらして、『何回まで参加しますか?』って聞かれたから『生きとったら100になっても来ます』言うたんや(笑)それが耳に残っとる」
 
―これまでの人生とマラソンがつながってますね


「もう人生の半分はここに費やしてきた。43年って人生の半分ですよ。それぐらいここに一生懸命になって来たんよ」

取材・文:越智貴雄

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