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卓球女子・和田なつきが金メダル「すごく幸せ」いじめを乗り越えて世界一の涙を流す【パリ・パラリンピック第9日】

金メダルを獲得した和田なつき(撮影:越智貴雄)

 パリ・パラリンピック第9日の9月5日、卓球女子シングルス(T11=知的障害)の決勝が行われ、和田なつき(21=内田洋行)がエレーナ・プロコフェワ(53=中立選手)に3ー1で勝利し、金メダルを獲得した。パラリンピックの卓球シングルスで日本選手が金メダルを獲得したのは男女通じて初の快挙。

 和田は試合終了後、「すごく幸せです。お母さんやコーチ、いろんな方がサポートしてくれたので、ありがとうという気持ちでいっぱいです」と話した。

 現地で応援した和田の母は、「決勝はやってくれると信じていました。でも、今はウソじゃなくて本当に金メダルを獲ったのかな……という気持ちです」と、娘の偉業に信じられない様子だった。

サーブを放つ和田なつき(撮影:越智貴雄)

 東京パラリンピックの王者であるプロコフェワとは、初めての対戦だった。未知の相手からのカットにミスショットを誘われ、第1セットは8ー11で落とす。だが、ここで修正を入れたことが、試合の流れを変えた。

「どれだけいいボールを打っても拾われてしまう。なので、コースを狙って3球いいボールを打てば点数が入ると感じたので、まずは台に入れることを意識しました」

 パリに来る前には、体幹の強化や足の細かい動き、体重の重心の乗せ方をトレーニングした。その結果、長いラリーになっても崩れることが減った。53歳になっても世界のトップ選手として活躍するプロコフェワは、ベテランらしい高い技術を持つ一方で、長いラリーが得意ではないと考えた。

「1セット目は一撃必殺を狙いすぎたので、軽いドライブから相手を揺さぶるようにしました」

 173センチの身長と長い手足を活かし、変幻自在にボールを操る。習得したサーブの数は10種類以上。持ち技の中から相手の嫌がる技を試合中に見つけて、弱点を攻める。それが、試合後半での強さにつながっている。

 第2セットに入ってからは和田が優位に立つ場面が増える。このセットを11ー8で取り返すと、第3セットを11ー4、第4セットを11ー4で制し、世界一の座に輝いた。

金メダルを獲得した和田なつき(撮影:越智貴雄)

 卓球を始めたのは中学2年生の時。小学校の頃にいじめにあって不登校になり、心の傷を負って歩くことができなくなった。一時は車いすで生活していたこともある。その時に母は、精神科の医師から「心の中につらい思い出がたくさんあるので、楽しい経験や小さな成功体験を積ませてあげることが大切」と言われ、時間の許す限り娘を外に連れて行った。公園、遊園地、映画館……、いろんな場所に出かけた。

 その頃、引きこもりがちの生活だったので、体重が増えてしまっていた。今より17キロほど重かったという。「これはヤバい。ダイエットしないと」と考え、近所の障害者スポーツセンターに通い始めた。その時に出合ったのが卓球だった。最初は遊びのつもりで始めたが、その奥深さにのめり込んだ。勝つ喜びだけでなく、負けた時に悔しくて涙を流すのが嫌で、必死に練習をするようになった。

「その時は(母に)連れて行かれるのはストレスでしかなかったけど、今になっては、『ありがとう』という気持ちです」

 和田に知的障害があることがわかったのはその頃のことだった。だが、母は何も動じなかった。その時の思いをこう話す。

「この子には、人より優れているところがたくさんある。だから、できないところは底上げをして、あとは良い部分を伸ばしたらいいんだと思いました」

 今でも大きな音が苦手だ。電車の乗り換えも得意ではない。それでも、卓球で遠征にたびたび出かけるようになり、世界の舞台で試合をすることも増えると、苦手なことが減って、できることが少しずつ増えてきた。

 練習や試合でうまくできないことがあると、大きな声で泣く。それでも、世界のトップクラスの選手と戦うようになってからは決めたことがある。

「泣きたいんだったら1分間だけ思いっきり声を出して泣いて、1回スッキリして、次にどうするかを考える。泣くのも自分だと思ってます」(和田)

 試合が始まる時とタイムアウトから試合に戻る前には、日本から駆けつけた応援団に向かって頭を下げて一礼した。

金メダルを獲得しコーチと抱き合う和田なつき(撮影:越智貴雄)

「私は『いいことをすれば、いいことが返ってくる』と思っているので、大会の期間中もゴミが落ちていたら拾ったりしていました。それがネットインの1点にもつながるかもしれないし、(応援してくれる人に向けて)お辞儀をすれば、こんな子がいるんだと思って応援してくれる人もいるかもしれない。日本と同じことをしました」

 和田の母は、「知的障害のある子は、人生の経験をさせてもらえる場が少ない。卓球は、娘にいろんなことを経験する場所を与えてくれた」と振り返る。和田も決勝戦を終えた後、「(卓球を始めて)自分に自信が持てるようになって、『私は私』という考えを持てるようになった」と話した。

 試合中に怖い顔をしてしまうと、力が入ってミスが多くなるという。だからこそ、パリでは試合中に苦しくても笑うよう心がけた。世界一を導いたのは、卓球が与えてくれた笑顔だった。

(西岡千史)

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