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【全文掲載】決勝戦前に聴いた曲は尾崎豊『僕が僕であるために』18歳小田凱人が金 車いすテニス試合後コメント・後編──パリ・パラリンピック第11日

勝利後、クレーコート(土のコート)で仰向けになり、喜ぶ小田(撮影:越智貴雄)

パリ・パラリンピック第11日の9月7日、車いすテニスの男子シングルス決勝が行われ、小田凱人がアルフィー・ヒューエット(英国)に6―2、4―6、7―5で勝利して金メダルを獲得した。

 試合終了後に小田はテレビカメラに向かって「今日、勝ったことで確定したことがある! 俺はこのために生まれてきた。優勝するために、金メダルを取るために生まれてきました」と喜びを爆発させた。

 メダルセレモニー後のインタビューで記者団に語ったコメントの全文は以下の通り。

>>前編「俺は金メダルを取るために生まれてきた」から続く

──初めてのパラリンピックでしたが、どういう大会でしたか。

“毎日ずっと楽しかった”というのしかなくて。でも、この緊張感は4年に1回がちょうどいいかなと(笑)。だから4年に1回なのかなと思いました。

──アルフィーが「生涯最高のテニスの試合だった」と言っていましたが、どう感じましたか?

僕にとってもそうなったと思います。お互いがそれを思っていたら、めっちゃいいことだと思います。でも、彼がいなかったらと想像すると、僕もここまで到達できなかったかもしれないと、正直思います。

──試合会場はセンターコートのフィリップ・シャトリエという大きな舞台で、ほぼ満員のお客さんが入りました。

こういう舞台の方が僕に合ってるっていうのは、ずっと信じ続けてやってきました。途中でちょっと揺らぎましたが、その後に「やっぱり俺の舞台だな」と思う繰り返しでした。今回、僕らの試合でこれほどの盛り上がりを証明できたので、どの試合でもこれぐらいの熱量が出てほしいです。

車いすテニスをフィリップ・シャトリエでやっても、すごいお客さんが入ることは証明できたと思います。それに見合う試合もできたと思います。これからは、そのスタンダードを上げていきたいです。

──車いすテニスを通して伝えたいことがあり、そのために金メダルが必要だと話していました。

ダイバーシティとか共生社会とかはよくわからない

一進一退の攻防を見事に制し、金メダルを獲得した小田(撮影:越智貴雄)

「何かを変えていきたい」と僕は思っていて、特に「これ」というのはぶっちゃけないんですけど。ただ、僕がプレーすることで何か変化が起きて、それが僕にとっても、車いすテニスをしている人たちにとっても良い影響があるのではないかとずっと思っています。

どうせ勝つなら、勝つだけで終わらせないという気持ちは昔からありました。それがプレーだけじゃなく、「見せる」ということにも繋がると思います。プレー以外でも、僕のテニスを見てどう思ってくれるかが、すべてだと思います。

僕の評価は自分で決められないと思うんです。それは見た人が決めるもんだなと。テレビで放送する価値があるのか、お金を払って見に行く価値があるのかは、僕がどれだけ言ったって、よくわかんない試合してたらやっぱり無理です。見たいと思われる試合をこれからもしていきたい。

──大会前から「五輪を超える衝撃を与えたい」とおっしゃってましたが。

僕が一番、やってやったなと(笑)

──次の目標について教えて下さい。

次の具体的な目標はないですね。これまでになかった感じでプレー以外もやっていきたい。新しいスタイルで人生を歩んでいきたいですね。

──社会、あるいは世界へ伝えていきたいことがあれば教えて下さい。

ダイバーシティや共生社会については、僕はあんまりよくわかってないんですけど、それは口に出すものではなくて、僕は試合をすれば全部丸く収まると思います。何でもできちゃうと思っている。試合することで、いろんなことを変えていきたいですね。

──金メダルをかけられたときの気持ちは。

金メダルを取ったってのもそうですし、横に(銅の)グスタボと(銀の)アルフィーがいるというのが、一番込み上げてきた感情ですね。二人とも、見よう見まねをしてやってきたし、あの二人に限らず、すべての選手のモノマネが得意なんですけど。昔からいろんな選手の真似をしてきて、合う、合わないというのをやってきて。僕のバックハンドもグスタボを見て打つようになりました。

尾崎豊を聴かない日はない

試合前、アルフィー(右)と握手をする小田(撮影:越智貴雄)

アルフィーは僕が小学生の時に、誰も僕のことを知らない中で隣で練習していて、彼が三木(拓也)さんと練習していて、「三木、あの右側の子を呼んでよ」と言ったんです。僕は英語をしゃべれないので、三木さんに呼ばれて行って、アルフィーと初めて会いました。「あ、アルフィー」だと思って練習したのをすごく覚えています。

そういう人たちが隣にいて、僕が真ん中にいるなんて、なんと言ったらいいのか……という感じでした。

──国歌が流れたとき、涙を流しているように見えましたが。

日の丸の国旗が上がっていくのを見て、選手ですけど、普通にお客さんとして観てる感じで、「うわーっ」と。選手という目線ではなく、単純に国歌が流れて、日本の国旗が真ん中にあるのを見て、「やったな」みたいな感じです。

──それまでは泣いていませんでしたか?

いえ、そんなことはないですよ。終わった後も、(メダルセレモニー前に)控えている時にも泣いていました(笑)

──今日も尾崎豊を聞いたのでしょうか。

もちろんです。聴かない日はないですね(笑)。朝起きてから聴きました。

──曲名は。

『僕が僕であるために』です。

(了)

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