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瀬立モニカ「メダルを取るまではやめられない」とパリでのリベンジを宣言

カヌー女子KL1決勝で、瀬立は、7位で目標としていたメダルには届かなかった(撮影:越智貴雄)

 東京パラリンピック競技11日目の9月4日、海の森水上競技場ではカヌー・スプリントの準決勝と決勝が行われた。準決勝を組2着、全体では5着で通過した瀬立モニカ(KL1)は、決勝では2秒以上縮め、57秒998でゴール。しかし、コロナ禍でも世界のレベルは格段に上がっており、結果は7位と目標としていたメダルには届かなかった。

メダル逃すも証明したリオからの成長

 雨天で気温の低さがレースに影響した2日前の予選、瀬立は近年では最も遅いタイムに笑顔でインタビューに答えながらも、明らかに大きなショックを受けていた。それもあったのだろう。昨夜は目をつぶっても自身の心臓の鼓動の大きさに何度も目が覚め、ほとんど眠ることができなかったという。そして、準決勝のレース直前になっても、戦いに挑む気持ちにはなれなかった。

「準決勝が始まる1時間前くらいまでは、もう棄権届を出そうかと思うくらいに追い込まれていました。たぶん、怖かったんだと思います。でも、西(明美)コーチと坂光(徹彦)先生に『覚悟を決めなさい』と言われて、ようやく前向きな気持ちになってレースに臨むことができました」

 準決勝では、予選と同様に最も重点的に磨いてきたスタートダッシュに成功し、出だしはトップについた。すぐに隣のレーンの選手に抜かれたが、その後も食らいついていった。しかしやはり後半に伸びを欠き、1分00秒489と納得できるタイムではなかった。それでも組2着で通過が決まり、決勝へと望みをつなげた。

 70分後に行われた決勝のレース、瀬立は緊張を自ら吹き飛ばそうとするかのように、明るい笑顔を見せてスタートについた。しかし力みが出たのか、やや出遅れてしまう。それでも一人、世界から置いて行かれた5年前のリオの時とは違い、世界トップ選手たちに大きく引き離されることなく、しっかりと勝負することができていた。

 結果は、57秒998で7位入賞。リオの8位から、一つ順位を上げたかたちとなった。

競技続行で学問と二足の草鞋を履く覚悟も

 レース後、ミックスゾーンに現れた瀬立には涙はなかった。とめどなく落ちる大粒の涙をどうすることもできなかったリオとは違う瀬立の姿があった。

「金メダルを目指して、この5年間過ごしてきたので、悔しい気持ちはすごくあるんですけど」

 レースを終えての感想を求められた瀬立は、そう笑顔で語った後、一度声を詰まらせた。それでも「泣かないって決めたんでした」と再びトレードマークの笑顔を見せ、こう続けた。

「たくさんの人の愛を感じながら漕ぐことができました。7位という結果自体はリオからちょっと上がっただけなんですけど、すごく楽しいレースでした」

ゴール後、瀬立はしばらくその場から離れようとはしなかった(撮影:越智貴雄)

 ゴール後、瀬立はしばらくその場から離れようとはしなかった。5年間、たくさんの人たちと共に目指してきた夢の舞台に立つことができた喜びをかみしめ、少しでも長く余韻に浸っていたかったのだ。

 瀬立には医学の道という、もう一つの目標がある。そのため東京パラリンピック後は競技を続けるかどうかは、白紙状態にあった。しかしレース後、彼女の気持ちはすでに固まっていた。今後について訊かれると、涙をこらえながらこう答えた。

「やっぱりメダルを取るまでは、やめられないかなって。そう思うんですけど、でも自分がカヌーをやるにはコーチとかチームの人たちの支えが絶対に必要なので、まずはお願いをするところから始めようと思います。まずはこの5年間、東京で金メダルを取るという熱い目標に付き合ってくれて、引っ張ってきてくださったことに感謝したいと思います。そのうえで、またパリまでもう一度お願いします、と言いたいです!」

 リオでは10秒以上もあった金メダリストとの差は、4秒にまで縮まった。メダルには届かなかったが、瀬立が確実に成長した何よりの証だ。今大会で表彰台に上がった3人は、いずれも30代後半のベテラン勢。23歳と世界の中でダントツに若い瀬立には、最も伸びしろがあり、可能性があるはずだ。

 果たして3年後のパリの舞台には、どんなアスリートとなって登場するのだろうか。今後もまだまだ、彼女から目が離せそうにない。

(文:斎藤寿子)

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