NEXTスポーツ 「アンプティサッカー」
1980年代、アメリカで負傷兵のリハビリの一環として始まったと言われる「アンプティサッカー」。現在、世界42カ国で行なわれている。特にトルコではプロリーグが存在するほど盛んだ。
そのアンプティサッカーの日本における歴史は、まだ浅い。そして「彼」の存在なくして語ることはできない。2008年、ブラジルから日本に渡ってきたエンヒッキ・松茂良・ジアスだ。サンパウロで日系3世として生まれ育ったエンヒッキは、5歳のとき交通事故で右足を切断。10歳からクラッチ(杖)をつきながら健常者の中でサッカーを始める。そして13歳で「アンプティサッカー」を知り、初めて大会に出場した。
19歳のとき、仕事で来日したエンヒッキは、日本でアンプティサッカーが行われていないことを残念に思った。そんな彼が職場で出会ったのが、杉野正幸現日本代表監督だった。当時杉野は、知的障がい者サッカーの指導者をしており、エンヒッキを通じて初めて「アンプティサッカー」の存在を知る。杉野は、クラッチを巧みに使いながら片脚でボールをコントロールするエンヒッキのプレーに感銘を受けたのだった。「このスポーツを是非広めたい」。2人は地道な広報活動で人を集め、細々ながらチームとしての活動を始めた。
転機は2010年。世界アンプティサッカー連盟(WAFF)から、その年のW杯出場の打診を受けたのだ。急遽、「日本アンプティサッカー協会」(JAFA)が設立され、日本代表チームを結成。10月のアルゼンチンW杯に出場した。結果は5戦全敗だった。しかし、この惨敗が選手たちに火をつけた。「もっとうまくなりたい!」。それぞれが地元に帰り、アンプティサッカーの普及活動を始め、各地でチームが結成されていったのだ。
一方、協会も強化を模索し、翌2011年から「日本アンプティサッカー選手権大会」を開催。当初出場したのは3チームだったが、第4回大会では6チーム、2016年の第6回大会では9チーム(北海道、東京、埼玉、神奈川、千葉、静岡、大阪、広島、大分)と増加。競技人口も約90人まで膨らんだ。また、2014年からは、普及と実戦の場を増やす意味で、「レオピン杯」を大阪で開催している。日本一を決めるだけでなく、「東西オールスター戦」(2015年)や「新人戦」(2016年)なども併せて行い、特長を出している。
全国で唯一の小学生プレーヤーである福田柚稀さんは、2年生で始め、現在5年生。もともとサッカーが好きで、ファンであるブラジルのネイマール選手と同じ背番号「11」をつけている。「一番嬉しいときはシュートを決めた瞬間」と言う福田くん。将来の目標は「W杯で世界一になること」。10年後には、日本のエースストライカーとしての活躍が期待されている。
その福田さんが「すべてがすごい!」と絶賛し、憧れるのが、古城暁博だ。彼は小学生のときから、健常者に混じり義足でサッカーを続けてきた。アンプティサッカーに出合ったのは、29歳。「サッカーをやってきたんだから、簡単だろうと思っていたら、全然できなかった」という。しかし、かえってそれが「うまくなりたい」という意欲を燃やし、熱中するきっかけとなった。今では、日本を代表するプレーヤーとして活躍している。
女性は全国で2人。その1人、佐藤直美は、今年7月から始めた。昨年から障がい者スノーボードを始め、その関係でアンプティサッカーを知ったという。初めての体験会で感じたのは「義足を外して、全力疾走する楽しさ」だった。現在、チームで紅一点だが、将来的には女子リーグの設立を望んでいる。
アンプティサッカーのW杯は、2年に一度、開催(2016年は諸事情により開催されず)されており、日本は過去3大会に出場している。最初の2大会は未勝利で終わったが、2014年メキシコ大会で躍進した。予選リーグを3戦全勝と首位で突破、初めて決勝トーナメントに進出する。決勝トーナメントでは初戦で敗れたものの、それまでの戦績を思えば快挙と言えた。
これは、選手の経験値が増えたことはもちろんだが、その背景にある協会の強化策も見のがせない。2010年、2012年は、まだ競技人口が少なく、代表メンバーはほぼ固定されていた。そして「代表合宿」は行われないまま、いわゆる“ぶっつけ本番”で大会に臨んでいた。しかし、2014年には競技人口も増えたことから、初めて2度の「代表選考合宿」が行われ、選手たちに競争心を促した。そして、大会直前にも「代表合宿」が行われ、選手たちの士気を高めた。それが、好成績につながった大きな要因と考えられる。
現在、検討の段階ではあるが、JAFAでは2020年以降でのW杯の招致を目指している。2020年東京パラリンピックではアンプティサッカーは採用されていないが、「障がい者スポーツ」への関心が高まることが予測される中でのW杯開催は、アンプティサッカーのさらなる認知・普及拡大につながる。そのため、現在はスポンサーの獲得と、競技場確保が課題となっており、アンプティサッカーへのいっそうの理解が必要とされている。
また、WAFFの将来的な目標は、パラリンピック種目への採用だ。それには、世界的な普及が必須であり、東アジアは普及活動の重要地域の一つとされる。東アジアで唯一W杯に出場している日本が果たす役割は大きく、今後、日本代表と東アジア諸国との親善試合が行なわれることも検討されている。
日本には、「アンプティ・ファミリー」という言葉がある。個性的な選手たちがチームをまたいで交流し、選手と観客との間にも垣根がない。そんなファミリー感覚を知ってもらいたい」と、JAFA広報担当の太田智氏は語る。
「アンプティサッカーとそのスピリットを多くの人に知ってもらえれば、トルコのようなプロリーグが、日本にもできる日がきっとくると思っています」。
世界で最も競技人口が多いサッカー。そのひとつである「アンプティサッカー」には、大きな可能性が秘められている。
(取材・文:斎藤 寿子)