新田のんの「未知の世界に挑戦する楽しさ」 平昌パラリンピック
初めて臨んだ「世界最高峰の舞台」。その最後のレースを終え、メディアからの質問に受け答えする彼女の表情や言葉に、どこか懐かしさを覚えていた。そこには2年前、初めて会った時に感じたものがあった――。
アクシデントでポール一本での滑走
平昌パラリンピック競技8日目の17日、ノルディックスキー距離が行われ、女子5キロクラシカル座位の部では新田のんの(北翔大)が出場。今大会、ノルディックスキー距離とバイアスロンの2競技で計4種目にエントリーした新田は、この日が最後のレースとなった。
寒気が戻り小雪が舞った前日とは一変し、この日は青空に恵まれ、日差しが降り注ぐ中でのレースとなった。新田のクラス女子座位は、1周2.5キロを2周し、そのタイムを競う。
新田は23人中3番目にスタート。落ち着いた表情で、それでも勢いよく、走り始めた。
しかし、1周目にまさかのアクシデントが起こった。新田のクラスよりも前にレースが始まっていた男子座位クラスの選手と同じコースを走る中、後方から来た男子選手と接触し、ポールの先を折られてしまったのだ。
そのため、直後に待ち構えていた上り下りが続く道を、新田は1本のポールで滑るしかなかったという。それでも、一度も転倒することなく1周目を走り切った新田。前年のプレ大会では苦戦していた坂を、1本のポールでしのいだことで、自らの成長を感じたに違いない。
新田は、2周目に入る直前に新しいポールを受け取り、少しでも挽回しようと懸命に走り続けた。その結果、順位こそ21位だったが、それでも新田には達成感があった。
「アクシデントはありましたが、それでも今できる一番いい滑りができたので良かったです」
真っ青な空によく似合う、さわやかな笑顔が、新田の気持ちをよく表していた。
2年前と同じ“目の輝き”
新田に初めて会ったのは、2016年1月。旭川で行われた「全日本障害者クロスカントリースキー選手権大会」だった。それは、彼女が初めて臨んだ「実戦レース」でもあった。
当時、彼女はクロスカントリーを始めて、まだ1カ月。もともと車いすマラソンをしていたとはいえ、雪上でのシットスキーの操作は陸上とは勝手が違うのは当然で、真っすぐに進むことさえままならず、ただただ、一生懸命にポールを動かしているような状態だった。
その時のインタビューで強く印象に残ったのが、彼女から伝わってきた「未知の世界に挑戦する楽しさ」だった。
見るからに疲労困憊でゴールした新田に、初めてのレースの感想を聞くと、彼女は実に明るく、さわやかな笑顔でこう答えた。
「ミスをして、すごく悔しかった。でも、楽しかったです!」
すると、それ以降は、会うたびに彼女への印象は変わっていった。海外遠征など、さまざまな経験をしていく中で、全日本選手権の時は「出られたら嬉しい」という夢でしかなかった平昌パラリンピックは、現実の目標となっていった。と同時に、競技に対する考えや練習への姿勢も変わっていったのだ。
そうした意識の変化は、彼女の表情や言葉からも窺い知ることができた。真のアスリートへの階段を、一歩ずつ、着実に上り始めている――最近ではそんな印象があった。
だが、この日の新田は、そんな最近の彼女とは少し違っていたように感じられた。パラリンピック初出場を果たし、これまで経験したことがなかった世界に初めて足を踏み入れた。そこには、緊張がありながらも高揚感に包まれた、そんな雰囲気があった。
「勝負師」としての鋭い目は、夢と期待に満ちた目になっていた。それは、まさに2年前、全日本選手権で出会った時と同じものだった。
「世界の選手はみんな、パラリンピックという舞台にピークをもってきて、一番力を発揮するんだということがわかりました。私自身も、タイムを縮めることはできましたが、それでもまだまだ今の自分では、世界と戦うのは難しいこともよくわかりました」
そう語りながら、新田の表情は実に明るく、話し方も快活だった。
世界と互角に渡り合うためには、まだまだ課題は山積みだ。だが、だからこそ新田には伸びしろがある。いや、伸びしろしかないと言っても過言ではない。
4年後、彼女はまた大きく変化を遂げているに違いない。そして、また「挑戦する楽しみ」を見出しているはずだ。新田のんの、21歳。これからが本当に楽しみなアスリートの一人だ。
(文・斎藤寿子)