「支え」あっての自分。だからこそ「もっと強くなれる」 ~車いすランナー・渡辺勝~
7月14日から23日の10日間にわたって開催された「世界パラ陸上」。5年前のロンドンパラリンピックを彷彿させるほど、熱気を帯びたロンドンスタジアムに足を踏み入れた瞬間、真っ先に彼の心を覆ったのは「感謝」の気持ちだった。
「数日前までスタートラインに立つことさえもできないかもしれないと思っていたので……」
渡辺勝(TOPPAN)、25歳。ロンドンの地で見た若き車いすランナーの姿を追った。
感謝の気持ちが込み上げたロンドンのスタートライン
大会開幕の10日前、渡辺は招待選手としてダイヤモンドリーグに出場するため、スイスへと向かった。すると、思いがけないトラブルに見舞われた。輸送の際、レーサー(競技用車いす)が破損してしまったのだ。しかも、小さなものではなく、修復不可能という致命的なものだった。ダイヤモンドリーグには現地でスイス人選手のレーサーを借りて出場はしたものの、1週間後に控える世界選手権は絶望的とも言えた。
スイスからそのままロンドンに移動した渡辺は、メーカーから新しいレーサーを受け取るまでの1週間、レーサーに乗ってのトレーニングは一切することができなかった。周りでは、現地入りした選手たちが本番に向けて着々と準備を進めていく中、渡辺は焦る気持ちを必死でこらえていた。
最善を尽くしてくれたメーカーのおかげで、渡辺の元には、無事に新しいレーサーが届けられた。あとは、渡辺が最大限のパフォーマンスを出すのみであることは彼自身にもよくわかっていた。
だが、1週間の空白は、あまりにも大きかった。「ある程度」の走りにまでは戻したものの、それで勝てるほど世界は甘くはないことはよくわかっていた。そして、100%の状態ではない自分が、世界選手権の舞台で走ることが果たして許されるのだろうか……。そんな思いさえあった。
それでも渡辺は、最終的には走る決意をした。自分のために動いてくれた関係者や、無理をきいてくれたメーカーの人たちに応えるには、全力で勝負すること以外にはないと考えたからだった。
競技3日目の16日、エントリーした3種目のうち、1種目目の1500m予選が行なわれた。そのスタートラインに立った時、渡辺は込み上げてくる感情を抑えることができなかった。
「たくさんの人の支えによって、今、自分がスタートラインに立っているんだ、と思ったら、本当にありがたいと思いましたし、幸せを感じました」
結果は惜しくも決勝進出とはならなかった。そして、2種目目の800mも予選敗退に終わった。だが、渡辺の気持ちはまったく沈んではいなかった。それは「真の勝負」は、最後の5000mだと考えていたからだ。
「感謝の気持ちが大きいからこそ、きちんと結果を出したいと思っていました。冷静に考えて、今の自分が一番世界と勝負することができるのは5000m。もちろん、800m、1500mも全力を出し切ることに変わりはありませんが、結果というところでは、5000m一本に絞って、これにかける思いで走ろうと考えていました」
「満足」でも「悔しさ」でもなく心にあったのは「感謝」
最終日を翌日に控えた13日、渡辺は5000m予選に臨み、決勝進出の条件とされる組3着に入った。予選を通過しての決勝進出は、世界選手権3度目にして初めてのこと。レース内容にも手応えを感じていた。
そして翌14日、渡辺にとって「勝負の日」が訪れた――。
カランカランカランカラン。
ロンドンスタジアムに残り1周を告げる鐘が鳴り響いた。依然として団子状態のまま走る先頭集団。その中で、渡辺は前から2番目のインコースを走っていた。ポジションとしてはプラン通りで、渡辺は手応えを感じながらラストスパートに備えていた。
残り200mを過ぎると、次々と選手たちがギアを上げ、きれいに2列になっていた集団が一気に散らばっていった。すると2人が飛び出し、その後ろで渡辺を含む5人による熾烈な3位争いが繰り広げられた。
渡辺にはまだ余力があった。アウトコースから猛追すれば、3位に食い込む可能性は十分にあった。ところが、アウトコースへと進路を変更して出て行こうとした渡辺のすぐ前には2人のランナーが走り、前輪がその2人の間に閉じ込められるかたちとなってしまった。スピードを上げたくても上げることができないまま、渡辺は5位でゴールした。
さぞかし悔しい思いをしているのではないか――。そんな予想とは裏腹に、ミックスゾーンに現れた渡辺の表情は清々しかった。
「今、満足と悔しさと、どちらの気持ちが大きいですか?」という記者の質問に、渡辺はこう答えた。
「そのどちらでもなく、今大会を通して感謝の気持ちしかないです。いろいろな人に支えられていることを改めて感じて、その人たちのおかげで自分が走れていることを痛感させられました。そして、だからこそ、そういう人たちがいる環境だからこそ、これからまだまだ自分は強くなれるなと思うことができた大会でした」
もちろん、結果を残すことができなかったこともきちんと受け止めている。
「最後の5000mで今ある力を出すことはできました。でも、この大会でメダルを取ることが必須だと考えてきたので、そこで取ることができなかったということは、今後さらに厳しい戦いが待ち受けているはず。覚悟して挑んでいきます」
人として、ランナーとして、また一歩成長した渡辺。3度目の世界選手権は、彼の競技人生において、大事な1ページとなるに違いない。
(文・斎藤寿子)