布石を打ったリオでの戦い 〜車椅子バスケ・男子日本代表〜 リオパラリンピック
リオパラリンピックの大会9日目にあたる15日、車椅子バスケットボール男子の9、10位決定戦が行われ、日本は同じアジア勢のイランを65-52で下し、ロンドン大会と同じ9位となった。グループリーグは1勝4敗に終わり、決勝トーナメントに進出することができず、「6位以内」という目標には到達しなかった日本。しかし、チームとして危機的状況に何度も襲われながら、誰一人一度も下を向くことがなかった。そこにはチーム全員が共有する「信念」があった。
◆ まさかの3連敗で予選敗退
「崩壊」――思わず、そんな言葉が頭に浮かんでくるほど、今大会の前半、日本には予想以上の大きな壁が立ちはだかった。
「初戦のトルコ戦にピークを持っていき、白星発進で勢いをつける」
それが開幕前に及川晋平ヘッドコーチ(HC)が口にしていた、今大会のプランだった。しかし、結果は49-65で黒星スタートとなった。
決して勝てない試合ではなかった。ヨーロッパチャンピオンシップ2位のトルコに為す術がなかったわけではない。その証拠に、第1クオーターは16-18と互角に渡り合っており、その後最大10点差をつけられたが、第3クオーターにはキャプテン藤本怜央のシュートが高い確率で入り始め、3点差にまで詰め寄っている。
だが、日本が本当にやりたいバスケができていたかというと、そうではなかったように感じられた。日本が掲げた「全員バスケ」とは、主力のユニット1(5人の組み合わせ)で流れを引き寄せ、そこにトランジションの速さが武器であるユニット5など、ベンチメンバーをうまく絡ませていくことで、リズムに変化をもたせ、相手にアジャストさせ辛くする。と同時に、全員で負担をシェアすることで、ここぞという時にフレッシュな状態で主力を投入させる、という展開を理想としていた。
しかし、ダブルエースの一人である香西宏昭が厳しいマークにあったことで、シュートの確率が普段では考えられないほど低くなり、その他の選手もトルコの高さとリーチの長さに苦戦し、それを埋めるだけの攻撃をすることができなかった。ただ一人、藤本が絶好調だったとはいえ、それだけで勝てる相手ではない。結局、ユニット1で流れを引き寄せられなかったことで、ベンチメンバーの起用は非常に難しい状況となったと言わざるを得ない試合内容となった。
第2戦のスペイン戦では、第1クオーターは日本がリードを奪い、幸先いいスタートを切ったかに見えた。しかし、実際はそうではなかった。残り1分、日本が11—6とリードしている時点で、及川HCはユニット5を投入した。「最低でもプラマイゼロ」がミッションであるユニット5は、そこを無失点に抑えなければならなかったはずだった。しかし、残り2秒で失点を喫し、11—8で第1クオーターを終えている。これが後の選手起用に大きく響いた気がしてならない。実際、第2クオーターは石川丈則が途中出場した以外は、スタメンで戦い続けた。
2試合合わせてスタメン以外での得点は、スペイン戦での鳥海連志のミドルシュート1本とフリースロー2本、そして藤澤潔のミドルシュート1本のみ。カードを切っても、得点できずに失点し、マイナスの状態で再びユニット1に戻す、という状態が続いていた。
しかし、今大会、最も日本に大打撃を与えたのは、第3戦のオランダ戦だっただろう。オランダには2014年の世界選手権や、最近での親善試合でも勝っており、日本にとって決勝トーナメントに進出するためには、絶対に落としてはいけない試合だった。京谷和幸アシスタントコーチ(AC)も「日本にとって一番の肝となる試合だった」と語っている。
そのオランダに、日本は59-67で敗れた。スコア以上に、日本にショックを与えたのは、やはり「全員バスケ」ができなかったことだったに違いない。第1、2戦よりも、さらにスタメン5人の出場時間が増え、藤本、香西、豊島英は39分以上と、ほぼフル出場に近かった。
「また、あの時に戻ってしまったのだろうか……」
敗戦という結果よりも、気がかりだったのは、2年以上かけて、一つ一つ築き上げてきた「全員バスケ」が崩壊し、脱却したはずの「主力頼りのバスケ」に戻ってしまったのではないかということだった。
◆ 転機となった2年前の敗戦
日本が「全員バスケ」の重要性に気づいたのは、2014年の世界選手権だった。初戦のオランダ戦を白星で飾ったものの、その後はスペイン、イラン、韓国、イギリスに4連敗。なかでも痛恨の敗戦だったのは、ここ最近では一度も敗れたことがなかった韓国に、わずか2点差とはいえ、黒星を喫したことだった。
試合内容を振り返ると、敗因は明らかだった。イラン、韓国戦では、前半にリードしていたのは日本だった。ところが、後半に疲労が出て、スピードやシュートの精度が落ち、逆転を許した。また、スペイン戦では第1クオーターで13点差をつけられたものの、第2クオーター以降に猛追した。しかし、追い付くところまではいかず、振り切られてしまった。この3試合に共通していたのは、第4クオーターにあった。
及川HCはこう語る。
「勝敗を決める最も大事な第4クオーターで、チームが“逃げ切る力”と“追い付く力”が残っている状態にあるかどうかが重要だと気づきました。そのためには、これまでのように主力に頼っていてはダメで、いかに12人全員で負担をシェアし、主力が力を発揮できる状態で第4クオーターに入れるか。それが日本が克服しなければならない課題です」
実は、2014年当時既に全員バスケが世界の主流となっていた。同大会での個人成績を見ると、そのことが顕著に表れていた。1試合平均の得点ランキングのトップ5には、決勝トーナメントに進出した8カ国の選手の名前は1人も上がってはいなかった。つまり、トップチームはいずれも主力に頼らずに40分をシェアしているため、1人、2人に得点が集まっていなかったのだ。
一方、当時の日本は、5、6人で試合をまわし、ダブルエースの藤本、香西などはほぼフル出場に近く、そしてその2人が主な得点源となっていた。当然、2人は相手から厳しいマークにあうことになり、第4クオーターには疲労がたまっている状態で戦わなければならなかった。これでは、高さやパワーに勝る世界に勝つことなど、到底できない。この時から、日本は「全員バスケ」に舵を切った。
◆ “全員バスケ”を遂行したカナダ、イラン戦
その後、悔しい敗戦を経ながらも、日本は「全員バスケ」を一歩一歩、築き上げてきた。それが昨年のアジアオセアニアチャンピオンシップで実を結び、リオの切符を掴んだ。そして、さらに磨きをかけ、世界最高峰の舞台に乗り込んできたのである。
それが、ヨーロッパ勢との3試合でいずれも発揮できないままに黒星を喫し、傍目から見れば、日本がいつ「崩壊」してもおかしくはなかった。
「自分たちがやってきたことは何だったのか……」
そんな思いが出てきても、全く不思議ではなかった。
しかし、彼らの信念は固かった。
「自分たちがやってきたこと、やろうとしていることは決して間違ってはいない」
チームの誰もがそう信じて疑わなかった。及川HCが「一生に一度出会えるかどうか、というくらい最高のチーム」と言うのは、こういうところの強さにあるのかもしれない。
第4戦のカナダ戦、そして9、10位決定戦のイラン戦は、まさにその強さが出た試合だった。特に3連敗を喫し、もはや決勝トーナメント進出の可能性が途絶えた後のカナダ戦は、それこそ気持ちを切り替えるのは容易ではなかったはずだ。しかし、しっかりと「これぞ、日本が目指したバスケ」を見せてくれた。
カナダ戦、イラン戦はいずれも全員で試合時間をシェアし、多くの選手が得点を挙げている。特筆すべきは、5人ものローポインターが得点を挙げていることだ。これが、ロンドン大会までとは違う、リオで見せたかった新しい日本のバスケだった。
成績こそ、ロンドン大会と同じ9位ではあったが、彼らが常に目指してきた「成長」は確かに見えた。例えば、フリースローの成功率もその一つだ。いかにフリースローでの1点が重要かを彼らは何度も味わってきた。だからこそ、誰もがフリースローの練習を怠らなかった。その証拠に、グループリーグを終えた時点でのフリースローの平均成功率は、チームが目指してきた70%にほぼ近い69%で、12カ国中トップの数字を誇る。
また、前述した通り、ローポインターの得点が増えたことも挙げられる。特に、ローポインターながらアウトサイドからのシュートを得意とする藤澤潔が台頭してきたことで、日本の攻撃の幅はグンと広がった。藤澤へのマークにつくことで、藤本や香西といったハイポインターへのマークが手薄となりやすく、またアウトサイドに注意が向けられることで、インサイドにスペースがあきやすくもなるからだ。
また、17歳の鳥海連志の存在も忘れてはならない。藤本も「彼がこの場を経験し、そして世界としっかりと戦えたことで、日本はこれからさらに強くなることを確信しました」と語っている。
今大会、日本が結果を出すことができなかったことは紛れもない事実だ。それは受け止めなければならないし、敗因を明らかにすることは重要だろう。しかし、誰もがブレずに「全員バスケ」を追い求め続け、最後にはしっかりとコート上で見せたことで、きっと今後につながるものを残すこともできたに違いない。
「彼らはリオで、未来への布石を打った」
戦いを終えた今、そう思えてならない――。
(文・斎藤寿子)