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競技レポート

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木村敬一、初日から4種目メダルラッシュ! リオパラリンピック

100mバタフライ決勝の木村敬一=リオパラリンピック(撮影:堀切功)

100mバタフライ決勝の木村敬一=リオパラリンピック(撮影:堀切功)

 リオパラリンピックの大会9日目にあたる15日、オリンピック・アクアティックス・スタジアムで競泳男子100m自由形(S11クラス)決勝が行われ、木村敬一(東京ガス)が銅メダルを獲得した。50m自由形の銀メダル、100m平泳ぎの銅メダル、100mバタフライの銀メダルに続き、今大会4つ目のメダルを獲得した。

◆ 遠い世界だったパラリンピック

 初めてパラリンピックの存在を知ったのは、中学2年の時。当時、アテネ大会を控えていた日本代表の合宿に参加したことがきっかけだった。
「その時は、既にパラリンピックでメダルを何個も取っていた河合純一さんたちが、とにかくめちゃくちゃ速くて、そのスピードの速さに衝撃を受けました。『まるで怪物みたいだ』と思ったほどです。自分には絶対に無理だと思いました」

 しかし、木村は翌年、チーム最年少で出場した世界ユース選手権大会で、50m自由形で自己ベストを更新して金、100m自由形で銀、100m平泳ぎで銅と、3つのメダルを獲得した。この時の木村は、まだパラリンピックは遠い世界だと考えていた。ただ泳げば泳ぐほどタイムが縮まっていくのが、楽しくて仕方なかっただけだった。

◆ 初めてメダルを獲得したロンドン大会

 木村が初めてパラリンピックに出場したのは、2008年の北京大会。日本選手団の最年少で17歳の高校3年生の時だった。当時、最も自信のある100m平泳ぎで、あわよくばメダル獲得を狙っていた。しかし結果は5位。トップとは約5秒もの大差だった。想像以上の世界との差だった。ところが、それまで苦手意識の方が強かった100m自由形の予選で、自己ベストを4秒上更新し、決勝ではさらにもう1秒更新した。

 その後の2010年アジアパラ競技大会でも、50m自由形で自己ベストを更新して優勝。この時初めて「世界と勝負できるかもしれない」と感じ、自由形への自信を深めていった。

 そして2度目の出場となる2012年ロンドン大会。メダルを狙えるのは50m自由形だけだと、木村はこの種目に賭けていた。だが、結果は5位。「これでロンドンが終わった」と落胆した。そう思っていい意味で開き直れたのだろう。リラックスして臨んだ100m平泳ぎで銀メダルを、100mバタフライでも銅メダルを獲得した。狙った種目ではなかったものの、初めてのメダル獲得は、やはり嬉しかった。

100mバタフライで銀メダルを獲得した木村敬一=リオパラリンピック(撮影:堀切功)

100mバタフライで銀メダルを獲得した木村敬一=リオパラリンピック(撮影:堀切功)

◆ 金メダルを目指しハードな練習の毎日

 ロンドンから帰国後、当時大学4年生の木村は、4年後のリオパラリンピックの事が常に頭から離れなかった。どうしても金メダルが欲しいという気持ちが、日に日に強くなっていった。

 リオ大会の1年前の昨年、木村を取材すると、水泳漬けの毎日を送っていることを明かしてくれた。週に6日の練習の他、週末にはレースや講演なども多く、完全なオフは、月に1、2回ほどだというのだ。

「辛いと思うこともありますが、今ほど辛いことはないはずだ」と努力を積み重ねてきた。
 金メダルへの思いの強さが、その言葉にはっきりと映し出されていた。

 しかし、残念ながら今大会、金メダルにはあと一歩届かなかったが、4種目でのメダル獲得は十分、評価に値するはずだ。

(文・斎藤寿子)

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