幅跳びの鈴木徹、悲願のメダル獲得ならず リオパラリンピック
陸上走り幅跳びの鈴木徹(SMBC日興証券)にとって、リオパラリンピックは“5度目の正直”だった。4年に1度、巡ってくる熱い夏。2000年シドニー大会で初めてパラリンピックに出場してから16年、鈴木はこの特別な夏のために自身のすべてを捧げてきた。
障害者スポーツの最高峰といわれるパラリンピックの雰囲気は他のどの大会とも違う。例えば会場の熱気や世の中の注目度、そして勝者には世界最高の栄誉=パラリンピックのメダルが待っている。「今度こそメダルを取る」。常々、そう口にしてきた鈴木は過去4大会で6、6、5、4位と着実に順位を上げてきた実績と、自己ベストを更新してきた今シーズンの手応えから、リオパラリンピックには絶対の自信を持って臨んだ。
そして迎えた本番。連日、陸上競技が行なわれているオリンピック・スタジアムで鈴木の出番は大会6日目(12日)にやって来た。
鈴木のクラスはT44(片足下腿切断など)。ここには鈴木を含め6人の選手がおり、そのうち5人が2m以上の自己ベスト記録を持っている。ちなみに2mがパラ競技における一つの大台とされており、鈴木の場合は2006年のジャパンパラリンピックで初めて2mをクリアした。この時、日本記録を樹立するとともに、当時、世界に2人しかいなかった2mジャンパーとなった。
もう一人は米国のジェフリー・スキバだった。2004年アテネ大会で銀メダル、2008年北京大会で金メダルを獲得した選手だ。スキバは今回のリオ大会でも鈴木の最大のライバルになると目されていた。
ところが、そのスキバが精彩を欠いた。最初の1m85は1回目でクリアしたものの、次の1m90は2回目にクリア。続く1m98は3回とも失敗ジャンプに終わったのだ。
これとほぼ同じ流れだったのが鈴木だ。1m85、1m90はいずれも1回目でクリアしたが、1m95を跳んだのは2回目。だが、スキバと同じ1m98は3回とも失敗し、あえなく戦線離脱となった。1m98の2回目の跳躍は一瞬、成功したようにも見えたが、わずかながら鈴木の体が触れてバーが落下。あと一歩のところで勝ち進むことができなかった。一方、金メダルに輝いたのはポーランドのマチェイ・レピアト。2m19の世界新記録をマークしている。
◆ チームの流れを変えたい気持ちが体の力みにつながった
試合直後の鈴木は、「今はちょっと頭がぼうっとしている」としながら、またも4位入賞に終わった悔しさを繰り返し口にした。
「自分の競技が始まる前にリレーメンバーが銅メダルを取って、すごく力をもらった。僕もそれに続きたいと思ったが、うまくいかなかった。何が悪かったのか、わからない。コンディションは良く、体もちゃんと浮いていた。2mまでは全て1回でクリアして、いい流れを作りたかった。それができなかったのは自分のミス」
そう振り返りながら、「少し力みがあったかも」とも話している。今回、陸上の日本代表はなかなかメダルを挙げられず大会中盤を迎えていた。そんな中、年長者の鈴木は自分がメダルを取ってチームの流れを変えようと、知らず知らずのうちに気負っていたようだ。
ただ、試合が始まれば目の前のバーを一本一本超えていくだけ。リオでは2m05も視野に入れ練習を積んできただけに、「その結果がこれかと思うと悔しい。(1m98を)なぜ跳べなかったのか、自分でも不思議に思う。よくわからないうちに終わってしまった」と呆然とした。
一方、ターゲットにしていたスキバについて、「ジェフ(ジェフリー)に勝って3位に入りたかった。彼にはまだ1度も勝っていないので。でも、こういう形(鈴木が4位、スキバが5位)で勝っても嬉しくない。やはりメダルを取りたかった」と語っている。
多方面からの応援についても言及し、「月曜にもかかわらず、ものすごくたくさんの観客が見に来てくれた。家族も日本から30時間かけてリオまで駆けつけてくれた。子どもにはかっこいいお父さんの姿を見せたかった」と話し、シドニー大会前から二人三脚で義足の改良を重ねてきた義肢装具士の臼井二美男さんには、「結果で恩返しができず残念に思う」と胸中を語った。
現在36歳の鈴木は、次のパラリンピックの年に40歳になる。2020年東京大会をどう捉えているのだろうか。
「ホーム開催ですし、年齢のこともありますけど出場したい気持ちはある。ただ、それまで4年間と考えると、次はすぐ東京というわけにはいかない。また一年一年、実績を積み重ね、1cmでも記録が伸びる可能性がある限りは競技を続けたい。そして、東京でまた勝負できるように準備をしたい」
4年後も日本代表入りを果たせば、鈴木は実に6回目のパラリンピック出場となる。そうなれば、東京大会は最大の挑戦になるだろう。リオでは目標を達成できず涙を飲んだが、「走り高跳びは本当に奥深いんです。その奥深さを突き詰めていきたい」と、最後はいつも通りストイックに競技と向き合う鈴木に戻っていた。
(文・高樹ミナ)