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パラコラム

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「健常者が車いすバスケをやって何の意味があるの?」——そう言われたら僕の勝ち。埼玉ライオンズのエース・大山伸明の覚悟と挑戦

天皇杯決勝、日本代表として活躍する選手らに阻まれながらも力強いシュートを放つ大山選手(撮影:越智貴雄)

 車いすバスケットボールのコートに立つのは、障がいのあるアスリートだけではない。
2月2日に行われた、日本一のクラブチームを決める「天皇杯 日本車いすバスケットボール選手権大会」決勝戦では、神奈川ヴァンガーズが、埼玉ライオンズを61-41で下し、大会3連覇を達成した。東京パラリンピックMVPの鳥海連志選手ら日本代表クラスが名を連ねる“スター軍団”の圧倒的な強さが際立つ試合となった。
 しかし、敗れた埼玉ライオンズのエース、健常者プレイヤー・大山伸明選手(31)の存在感も際立っていた。速攻の起点となり、華麗なスリーポイントを沈め、チームを鼓舞するリーダーシップを発揮し観客の心を掴んだ。
 日本代表の合宿に呼ばれてトレーニング相手になることもあるという大山選手。彼は健常者でありながら、なぜ車いすバスケの世界に身を投じ、挑戦を続けるのか。その熱意と覚悟を、一問一答のインタビューで紐解く。

◾️車いすバスケとの運命の出会い

車いすバスケットボールプレイヤーとして活躍を見せる大山選手(撮影:越智貴雄)

──車いすバスケを始めたきっかけを教えて下さい
 
筋トレが大好きで、埼玉県立大学に入学してからも、学校内のジムでトレーニングを続けていました。ある日、ジムと併設された体育館で、たまたま車いすバスケをしている人たちを見かけ、『あっ、なんだろ、このスポーツは?』と興味を持ったんです。
そして、ちょうど大学1年生のゴールデンウィークの頃でした。たまたま同じ授業を受けていた先輩が車いすバスケサークルに所属していて、「君、がたいがいいね〜。車いすバスケやろうよ」と声をかけられました。興味本位で体験会に参加してみたところ、『これは面白いな』と感じ、そのまま入部を決めました。
 
──これまでスポーツの経験はあったのでしょうか? 
 
小さい頃に柔道を、中学では野球部でしたが、元々、格闘技や武道が好きだったので、高校では空手部に入りました。空手のトレーニングでは筋トレにもハマりました。
 
──車いすバスケのことは知っていたのでしょうか? 
 
正直、パラリンピックや障害者スポーツにそれまでの人生で触れる機会もなくて、車いすバスケも全く知りませんでした。漫画の『リアル』(車いすバスケを題材にした井上雄彦さんの漫画)も、車いすバスケを始めてから読みました。(笑
 
──車いすバスケサークルには何人くらいいて、誰から教わったのでしょうか?

1年生から4年生まで合わせて約20人のメンバーで活動していました。その中には、クラブチームにも所属している障害のある選手が2人いました。
現在、埼玉ライオンズのヘッドコーチを務めている中井健豪さんは、もともと健常者として車いすバスケをプレーしていた方なんです。ちょうど私が車いすバスケを始めた頃、中井さんも大学でコーチとしてのキャリアをスタートさせたばかりでした。そして、それ以来ずっと中井さんのコーチングを受けています。

◾️全国大学選手権3連覇!

車いすバスケットボールプレイヤーとして活躍を見せる大山選手(撮影:越智貴雄)

──大学では大きな大会などあったのでしょうか?
 
車いすバスケットボール大学連盟というのがありまして、一番大きな大会は、障害の有無を問わず出場できる車いすバスケの大学日本一を決める「全国大学選手権」です。自分たちのときは、10チームぐらいが参加していました。
 
──その時の成績はどうでしたか?
 
1年生のときは勝てませんでしたが、2年生から4年生まで大会3連覇を果たしました。MVPや得点王とかのタイトルもいただきました。
 
──3連覇に個人タイトル獲得とは、すごいですね。ちなみに、当時、どのぐらいの練習量だったのでしょうか?
 
練習量は本当に凄くて、授業があるとき以外は全部練習か筋トレをしていました。例えば朝練で朝8時から9時まで練習して、授業に行って、授業の空きコマでまた練習して、昼休みも練習して、体育館が使えない時も車いすを使って坂道とかをガーとみんなで走ったり。周りの人たちからは、『体育館に住んでる』って言われてました(笑)

◾️車いすバスケで味わった挫折

シュートを放つ大山選手(撮影:越智貴雄)

──車いすバスケが嫌になったりスランプになることはなかったのでしょうか?


嫌になることはありました。純粋にスポーツとして勝ち負けにこだわっていたので、自分のパフォーマンスが悪くて勝てなかった時に、もうつらいな、しんどいなっていうのはありました。練習しても練習しても結果が出ないっていう時期でした。パフォーマンスが出ない、上がってこなかったので非常に悔しかったです。
 
──しかし、大学では3度の日本一に
 
学生の中では、優勝したり強くはあったんですけど、いざ障害者のクラブチームと練習試合を行うと、ボコボコにされて悔しい思いをしたんです。近隣にあったクラブチームの埼玉ライオンズやNO EXCUSE(東京を拠点にする強豪クラブ)と練習試合をしては、全く敵わずボコボコにされて悔しい思いを何度もしました。たまにゲストとしてクラブチームの練習に参加させてもらったりしたときとかも、やっぱりボコボコにされて、怒られてみたいな。(笑
 
──そこからどうやって抜け出したんですか?
 
大学生の中だけでやっていると、大学生の中での強度しか知らなかったんですが、強豪クラブチームと練習試合をしたり、練習に参加させてもらう中で、だんだんとその“強度”や“ゲームスピード”の速さに慣れてきて、少しずつ戦えるようになっていったんです。戦えるようになってくるとクラブチームからも認めてもらえるようになり、合宿の練習相手に呼ばれるようになりました。少しずつトップレベルでやっている人たちの強度とか戦い方を知って学べたのは大きかったです。

◾️健常者に門戸が開かれたクラブ日本一決定戦

天皇杯の舞台でコートに立つ大山選手(撮影:越智貴雄)

──大学卒業後も車いすバスケを続けられている理由はどうしてでしょうか?
 
大学を卒業して看護師になりましたが、車いすバスケを続けました。楽しむ、楽しいからやるってのもそうなんですけど、トレーニングパートナーとして埼玉ライオンズやNO EXCUSEの人たちと一緒にトレーニングしていて、その関わったチームが大会で優勝したり、選手が日本代表に選ばれてパラリンピックで活躍したりていうのがすごく自分自身としては嬉しくて。トレーニングパートナーとし良い練習をしようって良い相手になろうっていうのはモチベーションになりました。ただ、トレーニングパートナーでもあるんですけど、私自身が絶対に負けたくないっていうのがありました(笑
 
──2019年から天皇杯で健常者の参加が認められるようになりましたが?
 
社会人2年目か3年目の時でした。クラブチームのトレーニングパートナーとして、車いすバスケを続けていましたが、健常者も一緒にクラブチームに入って大会に出場できると決まってからは、埼玉ライオンズに入部して、日本一を目指すようになりました。

──健常者にも大会出場への門戸が開かれたことについて、どう思われましたか?
 
“ついに、きたか”って思いました。先輩選手やクラブチームの人たちから、いつか健常者も一緒に大会に出られるといいよねと言われたりしていました。それこそドイツとかヨーロッパだと健常者も一緒にプレーを行っているので。
NO EXCUSEと一緒にドイツ遠征に行った時に、地域の応援もすごくて、健常者と障害者が一緒のチームでプレーをしていたのは、とても大きな刺激を受けました。なので、ついに日本もきたかと、本当に素直に嬉しかったです。
 
──健常者が大会に参加できることの意義って、どういうところだと思いますか?
 
トレーニングパートナーとして車いすバスケをやってきたっていう経緯があるので、自分たちがやることで日本の車いすバスケ界の競技のレベルが上がって、代表の方たちがパラリンピックとかで活躍してっていうのはひとつのモチベーションになるのかなと思います。
もうひとつは、健常者プレイヤーとして学生時代にずっとやってきて、大学を卒業してもまだやりたい人がいた場合、クラブチームに入って更に上のレベルで大会を目指せるというのは、健常者プレイヤーとしてはすごくありがたいことだなって思います。今、クラブチームに入って天皇杯に出たいという選手も増えてきています。若手の有望な選手もいるので、そこはちょっと楽しみなところです。

◾️健常者プレイヤーとしての矜持

ガッツポーズを見せる大山選手(左)(撮影:越智貴雄)

──健常者プレイヤーと区別されることについて、どう思われますか?
 
健常者プレイヤーと言われるのは仕方ないのかなとは思います。しかし、代表や天皇杯に出るような高いレベルの選手たちからは、健常者とか関係なく自分自身の実力を認めてくれて、一切区別されることはありません。
ただ、それ以外のところで、自身のプレーが目立ってしまうと、「健常者だからそれくらいできて当たり前だよね」とか、「健常者がそんなんやって何の意味があんの」というように、障害者と健常者を分けて考えられることが多い印象があります。自分が健常者として活躍してしまうと、やっぱりあまりいい目で見ないっていいますか…。
 
──そのように言われることについて、どう思われていますか?
 
最近はそんなに気にはならなくなってきましたが、逆に自分とか健常者がそんなたいしたプレイヤーじゃなかったら、多分、何も言ってこないと思うんですよ。自分もちょっとひねくれちゃってる所があるんですけど、“健常者だからって言われたら、勝ちだな”と思っています。そう言われるということは、自分の実力があって、“強いから、”敵わないから”、健常者だからだと言われてるんだなと。「強すぎるから、健常者だね」とか、そういう風に言われたら、ある意味自分の勝ちかなと。それに、トップレベルの選手たちは全くそういうことは言ってこないですし。

──健常者プレイヤーは、パラリンピックにも国際大会にも出場出来ないですが、どう思われていますか?
 
全然そんな、そこまでは別にいいという感じなんですけど、これは自分から言ってるわけじゃないんですけど、対戦相手の選手から、それこそ今年の天皇杯が終わった後にも相手チームの選手から「やっぱり、ノブがこの天皇杯とかで終わっちゃうのって、なんかもったいないよね。もっと世界大会に出られたらいいよね」と言われたり、「車いすバスケがパラリンピックじゃなく普通のスポーツとして認められてオリンピック競技になれば、ノブも出れるよね」みたいなことを、選手たちから言われたりします。

試合終了後、笑顔を見せる大山選手(撮影:越智貴雄)

──ここまでの車いすバスケに対する情熱の源は何でしょうか? 
 
チームメイトたちは代表目指したり、プロとして仕事としてやってる選手もいるわけで、周りの人たちは本気でやっています。その中で、自分も絶対本気で同じような熱量でやりたいと感じています。仲間たちと一緒に戦うのに、自分が片手間で適当には出来ない、可能な限り全力で注ぎ込んで戦わないといけないなっていう、義務というか責任として感じるところはあります。そうじゃなければ天皇杯で優勝を目指すとか、戦ってはいけないんじゃないかなって思うんです。そして、競技レベルが向上してきたこともあり、中途半端なトレーニングじゃ絶対に勝てない、戦えないんです。もちろん、私自身が負けたくない勝ちたいというのが根本にはあります。


──最後に、今後の目標について教えていただけますか?

それは、自分が直接的な影響を及ぼすものではないんですけど、自分が関わっている選手たちやライバルたちが、それこそ代表とかで活躍してパラリンピックに出て、パラリンピック優勝して、いい結果を出してくれると、自分自身も車いすバスケやってよかったな〜、一緒にトレーニングできてよかったな〜、っていう気持ちになると思います。自分自身が、天皇杯優勝、日本一のプレイヤーを目指すことで、一緒に関わる人たちがより活躍して、パラリンピックとかで良い結果を残して欲しいと思っています。

*** 
 
大山選手は、偶然の出会いから車いすバスケットボールの世界に飛び込み、今やクラブチームのエースとして輝きを放っている。健常者という立場に甘んじることなく、仲間と同じ土俵で戦い、勝利を追い求めるその姿勢には、確固たるプライドと深い覚悟がある。「環境や立場に縛られず、誰もが自らの舞台で輝ける」大山選手の歩みは、そんな普遍的なメッセージを私たちに投げかけている。
 
取材・文:越智貴雄

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