「僕はパラアスリートになれなかった」両足、右手を失った山田千紘さん それでも富士山の頂上を目指した理由
今夏、3肢切断の山田千紘さん(32)が富士登山に挑戦した。山田さんは20歳の時、事故で両足と右腕を切断。パラアスリートを目指した時期もあったが、自身とマッチする障害のクラスがなく道は閉ざされた。しかし、それならと自ら目標を設定し、様々な挑戦の場を作るようになり、その様子をSNSで発信するようになった。その山田さんに富士登山を決意した理由を聞いた。
──富士山に登ろうと思ったきっかけは?
パラ水泳や車いすラグビー、車いすバスケ、フェンシングなど、パラアスリートを目指した時期があったのですが、自身とマッチする障害のクラスがなく道が閉ざされました。それならと、自分自身でさまざまな目標を立てるようになりました。その中で、昨年の夏に海に潜ったんですけど、その時、山も登りたいと思ったんです。目標を作るときに、具体的なものが欲しいな考える中で、すぐに頭に浮かんだのが誰でも知っている日本一高い山「富士山」でした。
義足で富士山に登った人がいないのか調べてみると、下腿義足(足は膝より下を切断)の人が登った情報は見つけることができたのですが、僕のように左足が大腿義足(足は膝より上切断)、右足が下腿義足、右手は義手の3肢切断で登ったという人はいなかったんです。登った後に見える景色とか、自分の経験とかも変わってくるだろうなっていうことを確信し、富士山に登るという目標を立てました。
──何故、過酷なことが想像される富士登山を行うのですか?
僕は、生きてるうちに何かを残したいっていう思いがすごくあるんです。それは、事故で、失ったものがたくさんある中、失ったものばかり数えると、自分の人生はなんだったんだろうなって思ってしまいます。
何のために自分は生き残ったんだろうなとか、自分はいなくなっちゃった方がいいんじゃないかとか思ったこともありました。しかし、母親がいて、自分らしく生きてるところを見せることが、恩返しにもなるのかなと思った時に、いろいろな人に助けてもらって、今が自分があるので、この命を自分で捨てるんじゃなくて、もっと違う形で何か残していきたいと思うようになったんです。
生きるうちに自分にしか残せないことをたくさん残せたらいいなって思いが強くなり、それが、過酷であろうと3肢切断の体で富士登山ができれば、これも1個残るものにもなるのかなって思いました。
──サポート者の存在は?
ただ登るぞって言っても、自分1人で出来るようなことではないので、真っ先に、普段使用している義肢装具パーツメーカーのオズールジャパンの楡木祥子社長に相談しました。そうすると「やっちゃいましょう。私達も応援することによってその夢が叶うことによって、多くの人に届くと思う」といってくださいました。僕よりも前のめりになって動いてくれて、プロジェクトが動き始め、とても大きな力になりました。
──トレーニングを重ねる上で大変だった事は?
一般に生活する中で自分が大きな障害を持っているということを忘れがちなところではあるんです。手足3本失ってますけど、気持ちの面では、一般の企業で働いて、自分で生活だって出来ていますし、どこに行くにしても誰かの力が借りないというシーンがほとんどないんです。
切断してから、自分がそこまで出来るようになったということはあります。しかし、登山トレーニングを行う上で、自分に対する自信が砕かれました。このシーンで両手があったらもっと体を持ち上げることが出来るのにとか、思った以上に義足を上に振り上げることができなかったとか、バランスも両足義足ということで保てず時間かかってしまうところに悔しさが凄くありました。
──両足義足での坂道は苦にならなかったですか?
日常でも坂道を登るようにはしているので、坂道自体は苦にはしていなかったんですけど、山の坂ってなると岩や木があり、平坦ではないので、義足をどこの位置に置かなければいけないとか、ものすごく考えながら登らなければならないという所がありました。さらに、滑ったりするところもあり、そういったところで足場を本当に意識しながら、着実に登れるように、一歩ずつ進むということを徹底して心掛けました。
──山田さんにとって、義足との出会いはどんなものでしたか?
義足を履くようになって、自分の限界を決めないで、もっと行こう、もっと行こうとなりました。冬でも短パンで歩いて自分の歩きをいろんな人に見てもらいたいなとか、SNSでの発信とかもそうですし、チャレンジすることもたくさん増えて、昔は1日に2万~3万歩を歩きたいなんて思わなかったんですけど、歩くのが本当に楽しくなりました。歩く喜びとチャレンジできる喜びに出会いました。
──大事にしていることは?
怪我をしたときにめちゃくちゃ不平等だなって思っていたんです。今でも手がなかったり足がなかったりすることに対し不平等だなと思うことはあるんですけど、その時にふと気づくんです。僕自身も他の人もみんな1日の時間が24時間なのは平等だなと。そして、平等に与えられた時間をどうするかも、平等なんだなって感じるようになったんです。自分の時間をより楽しく過ごすことによって、自分の人生が楽しくなるんじゃないかっていう意識するようになりました。
今回のように、挑戦する姿を見てもらうことで、誰かにとっての勇気とか希望になれば嬉しい。そこからポジティブの連鎖が生まれたとしたら、それは僕にとっても存在意義にもなりますし、前に向かって進んでいくモチベーションにもなります。チャレンジをどんどん続けていきたいと思います。
文:西岡千史