「道具」の進化がパラを変えた すでに始まっているサイボーグ・スポーツの未来形
13日間にわたって熱戦が繰り広げられた東京パラリンピックが、9月5日に閉幕した。障害者のリハビリをきっかけに誕生したパラリンピックは、近年はオリンピックと同じく「アスリートの祭典」としての色彩を強めている。
その象徴が、陸上男子走り幅跳びで金メダルを獲得したマルクス・レーム(ドイツ)だろう。1日の決勝では、8m18の記録で金メダルを獲得し、パラ3連覇を達成した。これはオリンピックの同種目で4位に相当する記録だ。しかも、数センチの差で惜しくもファールになった6回目のジャンプは、自らの持つ8m62の世界記録に迫る大ジャンプだった。
パラスポーツでは、身体で障害のある部分を義足や車いすなどで補完するため、道具の開発も重要な要素となる。マルクス・レームも、義足メーカーのオズール社と協力して世界で初めて走り幅跳び専用の義足を開発し、オリンピック選手の記録を上回るジャンプを連発している。最新の機能と軽量化を目指す車いすメーカーの開発競争も激しく、「今後、最新の義足や車いすを使用できない国はますます不利になる」(大会関係者)との見方もある。
スポーツと道具の発展は、切っても切れない関係にある。2017年に商品化されたナイキの厚底シューズは、マラソンの高速化を一気に進めた。男子マラソンでは、世界歴代トップ記録20のうち15が2017年以降のものだ。ちなみに、厚底シューズにはスポーツ用義足と同じ素材のカーボンプレートが内蔵されている。踏み込んだ時の反発力を高めるためだ。開発には、パラスポーツの義足開発で得た知見が応用されたという。
技術開発によって新しい道具が出てくることで、パラリンピックには新たな課題も生まれている。パラスポーツでは、ボッチャの移動や車いすテニスの重度障害クラスを除いて、動力のついた義肢装具や車いすの使用は禁止されている。筋ジストロフィーや脳性麻痺などの重い障害を持つ人が参加する電動車いすサッカーも、パラリンピックの競技として採用されていない。パラリンピックで行われる競技は、障害者スポーツの一部でしかないのだ。
今後、日本だけではなく世界の先進国で高齢化が加速する。世界最大の人口を抱える中国でも、2025年までに60歳以上の高齢者が3億人を超えると予測されている。高齢化が進めば、身体の一部が不自由になる人も増える。その機能を補うための義足や電動車いすの開発は近年になって急速に発展している。
パラリンピックの未来形「サイバスロン」の人気が高まっている
そのなかで注目されているのが、「もう一つのパラリンピック」とも呼ばれる「サイバスロン」だ。サイバスロンは、2016年にチューリッヒ工科大学のロバート・ライナー教授の考案によって始まった大会で、ロボット工学などの先端技術を駆使し、障害者があらかじめ設定された課題をクリアすることを競う。競技で使用する道具をどのように開発するか、そして障害を持った選手がどのようにそれを使いこなすかということが重要となる。電動モーターによる道具の使用が認められているため、技術開発者と選手が一体となったチーム競技としての側面が強い。
サイバスロンは、パラリンピックの「未来形」ともいえる。前述したように、パラリンピックは障害者のリハビリの一環として始まった。一方のサイバスロンは、障害者の日常生活のサポートに役立つ「技術開発の促進」に重点が置かれている。双方ともに障害者のQOL(生活の質)を上げることを目的に始まったが、まったく別の方向で発展している。
2020年にオンラインで開催された大会では、パワー義足で坂道や階段を移動する「強化型義足レース」、脳の信号を読み取って動くアバターを使用してレースゲームをする「脳コンピュータ・インターフェース・レース」など、全6種目が開催された。
ロボット義足を開発する東大発のベンチャー企業「BionicM」の孫小軍社長は、20年大会の強化型義足レースに技術開発者として参加し、4位に入賞した。孫氏は、自身も9歳の時に病気によって右足を切断した経験を持つ義足ユーザーだが、16年にスイスで開催されたサイバスロンの第1回大会を観戦し、衝撃を受けたという。
「ロボット義足はこれまでたくさんの基礎研究が行われてきましたが、応用まではなかなか進めなかった。論文を出して終わり、という状況が続いていました。それが、サイバスロンという国際的な大会が開かれたことで、ロボット義足が注目されるようになった。テクノロジーの力で、こんなに障害者のQOL(生活の質)を向上させる可能性があるんだと驚きました」
中国貴州省生まれの孫氏は、09年に21歳で来日するまで義足を付けたことがなく、松葉杖で生活していた。はじめて義足を付けた時に「手にも自由があるんだ」と感じたという。13年に大学を卒業した後はソニーに就職したが、質の高い義足を作るために15年に退職。東大大学院博士課程に進学し、ロボット義足の研究を始めた。18年に現在の会社を立ち上げ、国内メーカーでは初となるロボット義足を今年中に発売する予定だ。
「私のように膝の上から足を切断している義足ユーザーにとって、階段の昇り降りはとても大変なことです。また、年齢を重ねると、義足ではない方の足も次第に筋肉が弱まっていく。通常の義足では歩くこともできなくなってしまう。そんな人たちの移動を助けるような義足を作ることを目指しています。サイバスロンは、その意味でも世界で最先端の技術を学び、それがまた自ら開発した製品をブラッシュアップするための機会になっています」
サイバスロンの技術開発が価値観を変えた
技術開発が、開発にたずさわった人たちの価値観を変えることもある。
電動車いすレースでは、慶応大理工学部の教職員と学生を中心に結成された「KEIO FORTISSISSIMO」が出場し、3位になった。チームリーダーの石上玄也准教授も、サイバスロンに魅せられた一人だ。
「パラリンピックは、アスリートの運動能力に加えて義肢装具士の技術にも魅了される大会です。サイバスロンも似た部分はあるのですが、わかりやすく言えば、サイバスロンはフォーミュラレース・F1のようなもの。電動車いすのパイロットが良いパフォーマンスを発揮するために、技術者は何をすればいいのか。そのための技術開発をして、車いすに反映さ
せる。毎日のようにチームミーティングをして、課題を一つずつクリアしていく。それの繰り返しです」
石上氏はロボット工学が専門で、惑星探査をするための自律探査ロボットの開発を手がけてきた。それが、2018年2月3日に、同大理工学部長の伊藤公平教授(現・慶應義塾長)に「サイバスロンに出てみないか」と誘われたのがきっかけだった。日付まで覚えているのは「福沢諭吉先生の命日だったから」だという。サイバスロンの競技内容とポリシーに興味を覚えた石上氏は、大学の職員や大学院生・学部生らを集めたチームを結成。電動車いすの設計と製作に取りかかった。電動車いすに乗るパイロットは、パラリンピック・アルペンスキーの元日本代表の野島弘氏に決まった。
「電動車いすの開発には、パイロットとのコミュニケーションが欠かせません。レースに勝つには、電動車いすの性能だけではなく、パイロットが操作しやすいものを作らないといけない。それがとても新鮮でした。サイバスロンは、学生のモノづくりに対する意識も変えるものでした」
石上氏は、パイロットと試行錯誤する中で学生たちが日々成長していくのを実感したという。KEIO FORTISSISSIMOに参加した学生の中には、電動車いすを製作する会社に就職した人もいた。それほど、サイバスロンの経験は参加者の価値観を広げるものだった。
「ロボット工学あるいは機械工学全般を学んでいると、どうしてもマジョリティ(多数派)に受け入れられる汎用性のある製品開発に目を向けがちです。それがサイバスロンでは、身体に障害を持つ一人のパイロットのために、機体を開発することになる。それが学生たちに新しい価値観を開かせているのだと思います。そして、F1がそうであるように、一人のパイロットのためにサイバスロンを通じて培った技術が、スピンアウトして一般製品に応用されることが出てくると思います」
国際パラリンピック委員会(IPC)のアンドルー・パーソンズ会長は、東京パラリンピックの開会式のスピーチで、世界人口の15%にあたる約12億人の障害者の人権を守るキャンペーン「We The 15」を開始すると発表した。「障がい者に対する差別をなくし、障害の可視化、アクセスのしやすさ、包容性を求める世界的な運動を展開する」という。そこにテクノロジーはどのように寄与していくのか。サイバスロンには、未来のスポーツの形が映されている。
(取材・文:土佐豪史)