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パラコラム

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瀬立モニカの“サポート役”と“ゲーム仲間”の二役を担う、ウチナンチュー!

写真:瀬立(右)を献身的にサポートする、沖縄でツアーガイドを行っている島さん(撮影:越智貴雄)

 今年の東京パラリンピックでパラカヌー界初の表彰台を目指している瀬立モニカ。その成長を後押ししている場がある。長寿の里として知られる沖縄県国頭郡大宜味村だ。瀬立は18年より毎年冬から春にかけてのオフシーズンの間をそこで過ごし、トレーニングに励んできた。現在も約7カ月後に迫った本番に向けての強化が行われている。住居や練習場には瀬立専用のスロープが設置されたり、野菜や果物を届けに来てくれたりと、村長をはじめ村民が大勢、瀬立を全力でバックアップしている。今では瀬立の“第二の故郷”ともなっている大宜味村。そんな瀬立と大宜味村との懸け橋となり、手厚くサポートし続けているのが、沖縄県国頭郡本部町でカヌー専門店「Kayak Club」のスタッフでツアーガイドの島武文さんだ。

沖縄でのトレーニングに欠かせない島さんの存在

(右)の乗艇のサポートする島さん(撮影:越智貴雄)

 瀬立の沖縄合宿での練習を取材すると、島さんの姿を見ないことはほとんどない。そして、そのサポートぶりはまさに献身的だ。瀬立が海に出て水上でトレーニングをする際、艇庫から長さ約5m、重さ約10kgある艇を一人で担いで乗り着き場に運び、車いすから艇に乗り移る瀬立を、コーチらとともにサポートする。そして気が付くと、島さんの姿は、コーチが乗るボートの上にある。コーチがいる乗り着き場まで手漕ぎでボートを移動させるためだ。

 トレーニング中は、コーチとともにボートに乗り、瀬立に声をかけたり、コーチから依頼があれば携帯電話で動画を録ることもある。さらに天候の変化や波の状況をいち早く察知し、事故がないようにアドバイスする役割も担っている。

海上での練習後には、艇を艇庫に運び、ふだんは瀬立やコーチが行っている、付着した海水を真水で流してふき取るなどの艇のメンテナンスを手伝う。また、ジムでのトレーニングにも付き合い、瀬立がケガのないようにサポートすることもしばしばだ。

そして、休憩時間には瀬立はゲームをしてリフレッシュすることが多い。同じゲーム好きの島さんは、そんな瀬立の最高の“遊び仲間”でもあるのだ。かっぷくの良い島さんの腹部をにっこりと笑ってポンポンと叩いたり、ゲームでは負けん気の強さを発揮して本気で競争するなど、瀬立は島さんにすっかり心を許している。

写真:瀬立(右)の練習相手として乗艇する島さん(撮影:越智貴雄)

 島さんが瀬立のトレーニングをサポートすることになった背景には、ある人物とのつながりがある。瀬立がカヌーからパラカヌーに転向した当初から指導し、母親のように慕う西明美コーチである。

 実は島さんは、元カヌー選手。高校2年時には国体で準優勝し、ジュニア世界選手権にも出場。3年時には国体、インターハイで優勝。スポーツ推薦で入った日本体育大学時代には4年時には国体で準優勝し、全日本インカレではシングル、ペア、フォア、リレーで4冠に輝き、MVPを獲得している。学生カヌー界の一時代を築いた一人である島さんの名は、現在も広く知れ渡っている。

そして、その大学時代の2学年上に西(旧姓・島村)コーチがいたのだ。大学からカヌーを始めた西コーチが、島さんに教えてもらうこともあったようだが、大学時代はほとんど接点がなかったという。卒業後もそれぞれの道を歩み、特に連絡を取り合ってはいなかった。

 四半世紀におよぶ歳月を経て、東京の西コーチから沖縄の島さんに連絡があったのは、18年のこと。聞けば、西コーチが指導している選手が東京パラリンピックを目指しており、寒い冬の間、沖縄県北部でトレーニングできることが決まったという。その話を聞いて、島さんはすぐに駆け付けた。そして、それ以降、手厚いサポートを続けている。

献身的なサポートの背景にあるカヌーへの思い

写真:練習が終わった瀬立を笑顔で出迎える島さん(撮影:越智貴雄)

 島さんの献身的なサポートぶりは、“ボランティア”の域を軽々と超え、言ってしまえば“ファミリー”でもあるかのように映る。島さん自身は大宜味村の村民ではなく、本部町に住んでいる。その本部町から大宜味村までは、車で片道約1時間。それでも島さんは時間がある限り、週に何度も往復しているのだ。西コーチ曰く、島さんはガソリン代などの費用は決して受け取らないのだという。これが3シーズン続いているのだ。

 なぜ、そこまでできるのかーー。そんな率直な質問をすると、島さんは首をかしげながら、こう答えてくれた。

「自分の性格として、おせっかいはしたくないんです。なので、僕がやっていることを喜んでくれているくらいがちょうどいい。そういう意味では、モニカもアケコーチ(西コーチの愛称)も自分を必要としてくれているっていうのはありますよね。なぜと言われると困るけれど、まぁ、自分ができることがあるならやろうかなと思っているだけですよ。あとはモニカによって、パラカヌーがいかに難しいかがわかってきたというのもあるのかな。おそらく僕たちがやっているカヌーの10倍は難しいと思います。また、学生時代はインカレで優勝するほどの実力があり、指導者としての技術を持つアケコーチも、パラカヌー自体は経験したことがない。それを指導するのも、相当大変だと思います。だから、自分ができる精一杯のサポートができたらなって。でもまぁ、自分が経験値もあって好きなカヌーだったというのも大きいのかな。まだまだマイナー競技だからこそ、やっぱり頑張っている選手を見ると、自然と応援したくなるんです」

そして、こう続けた。

「それと、自分にとって良いこともあるんですよ。だって、絶対に知りあえない人たちとこうして仲良くなれるんですから」

 島さんが献身的なサポートをするのは、瀬立に限ってはいない。メディアが取材に訪れると、率先して道案内をしてくれたり、ボートに同乗するのをサポートしてくれるのだ。また、写真が好きなこともあり、カメラマンの最高のコーディネーターとしても活躍する。カメラマンが希望するアングルやシーンに応えられるスポットへの案内を快く引き受けてくれる。しかも、その表情はいつも笑顔にあふれている。

写真:乗艇場所から陸へのスロープを登る瀬立(右)をサポートする島さん(撮影:越智貴雄)

「私が今、こうして大宜味村で充実したトレーニングができているのは、島さんのおかげでもあります。最初のシーズンはいつも一緒に漕いでくれました。強い風で波も大きい時は本当に怖かったんですけど、隣で島さんが『大丈夫、大丈夫』って声をかけてくれて、私の艇を支えてくれたりしたんです。怖いとすぐ近くを見ちゃうんですけど、逆に遠くを見ながら漕ぐといいということも島さんから教わりました。海の波を克服して、しっかりと練習もできるようになったのは、島さんがいてくれたおかげです。そして、今は大切なゲーム友だちでもあります(笑)!」

 沖縄の風のごとく、人に心地よさを与えてくれる島さん。東京パラリンピックで世界の頂点を目指す瀬立の強さは、彼のような貴重な人物との出会いの上に築かれているのかもしれない。

(文・斎藤寿子)

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