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パラコラム

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瀬立モニカの“世界一の成長スピード”を生み出した「チーム・モニカ」の存在

瀬立モニカ選手(中央)をサポートする「チーム・モニカ」(撮影:越智貴雄)

 日本のパラカヌー界において、前人未踏の快挙を成し遂げてきた瀬立モニカ。パラリンピック競技として初めて正式採用された2016年リオ大会では、アジアでは唯一の代表(女子KL1クラス)として出場し、決勝に進出。19年世界選手権では過去最高成績の5位入賞し、東京パラリンピックの切符を獲得。そして今年は、生まれ育った東京都江東区にある「海の森水上競技場」でパラリンピック史上初の日本人メダリストとして表彰台に上がるつもりだ。そんなパラカヌー界きっての日本のエースを支えてきたのが「チーム・モニカ」だ。

世界から注目されたシートを開発したメカニック

2019年の世界選手権で5位入賞を果たし、東京パラ切符を獲得した瀬立(撮影:越智貴雄)

 瀬立が東京パラリンピックで金メダル獲得するために全面的にサポートしている「チーム・モニカ」は錚々たるメンバーがそろっている。瀬立がカヌーからパラカヌーに転向した当初から指導している西明美コーチ。瀬立が初めて世界選手権に出場した15年からシートなどの用具を開発し、メンテナンスを担当する川村義肢の職人たち。トレーニングのメニュープランを作成している広島大学病院スポーツ医科学センターの理学療法士である坂光徹彦先生。さらにふだんからスポーツ傷害の相談や健康チェックを行なってくれている筑波大学附属病院の清水如代先生など、まさにプロフェッショナルの集団だ。

 今や東京パラリンピックのメダル候補として挙げられている瀬立。リオパラリンピックでは10秒433あったトップとの差は、17年には7秒628、18年には5秒010、そして19年世界選手権ではついに2秒94にまで迫った。瀬立自身も「成長スピードでは、自分が世界一」と語るほどに、目覚ましい進化を遂げてきた。彼女の進化を加速させた要因の一つが、「チーム・モニカ」の存在であることは間違いない。それぞれの分野でのプロたちとの出会いが、瀬立を強いアスリートへと育んできたのだ。

 現在、5月にハンガリー・セゲドで開催が予定されている国際大会が、東京パラリンピックへの大きなステップアップとして考えている瀬立。昨年12月からは、沖縄県大宜味村を拠点にしてトレーニングに励んでいる。

 同じセゲドの会場で行われた19年8月の世界選手権では、予選で自己最速となる54秒93をマークしている。5月のワールドカップでは、それを上回る記録を狙い、メダル争いに食い込むつもりだ。

艇の調整を行うメカニックの宮本氏(右)と瀬立(撮影:越智貴雄)

 そのために昨年から取り組んできたのは、技術面、フィジカル面、メンタル面でのレベルアップだけではない。シートの改良にも注力してきた。その開発の中心となったのが、「チーム・モニカ」の一人、川村義肢の宮本雄二氏だ。これまで積み上げてきた過去のデータを一度頭から取り除き、「一から」始めたという新シートの改良は昨秋から始まり、昨年末まで数カ月間にわたって行われてきた。その間、宮本氏らメカニックの提案に瀬立自身の意見や、コーチ、トレーナーからの視点などをかけあわせ、材料選びから形状、角度、取り付け部分の板の形や大きさ、ボルトの数まで、ありとあらゆる部分での見直しを図った。

 この間に宮本氏は、石川県、沖縄県と、瀬立の練習拠点にも足を運んだ。そして数カ月間にわたって行われてきたシートの改良も現在は佳境を迎え、今月末には完成品が納品される予定だ。それが「東京パラリンピック用」となり、5月の国際大会で実戦デビューとなる。

確かな技術と斬新なアイディアで高まった信頼

メカニックの宮本氏が制作したシートを大切に抱える瀬立(撮影:越智貴雄)

 瀬立は脊髄損傷という障がいで、胸から下は力が入らないため、足で踏ん張ったり、体幹や腰を使って体のバランスを保つことができない。そんな彼女にとって水上で行うパラカヌーは、大きなリスクを伴うスポーツだ。だからこそ、不安定な水上でいかにバランスよく艇に乗るかが重要となる。シートはその最大のアイテムだ。

 そのシート開発に携わってきた川村義肢の職人たちに、瀬立は全幅の信頼を寄せている。なかでも、初めて世界選手権に出場した15年から携わってきた宮本氏は、瀬立が素直に正直に、何でも言える相手でもある。

 声のボリュームが大きく、関西弁で明るく話しかけてくる宮本氏。そんな宮本氏に出会った当初、まだ高校生だった瀬立は「ずけずけとものを言う怖い人」というイメージで、どちらかというと苦手だと感じていたという。聞けば自己紹介もなく、いきなり宮本氏に日常使っている車いすについて「それ、自分にぜんぜん合ってないんちゃうの?」と言われたのだ。

 実は、すでにほかのパラカヌーの選手に携わり、海外の国際大会にも帯同していたという宮本氏。日本パラカヌー協会の関係者から瀬立について「あの子はこれから日本を背負っていく選手になるから、見てあげてください」と言われていたのだという。ところが、大会会場で見かけた瀬立は、まったくフィットしていない車いすに乗っていた。そのため、リハビリテーション器具の製作を行う職人としては放っておくことができず、自己紹介よりも先に口に出てしまったのだ。

 さらに瀬立が使用していた艇をのぞくと、単にクッションを置いているだけのシートを使用していた。「これでは大変だろうな」と感じた宮本氏は、瀬立専用の新しいシート作りを提案。宮本氏がメカニックとして携わることになった。

瀬立(上)が全幅の信頼を置くメカニックの宮本氏(撮影:越智貴雄)

 瀬立が宮本氏に信頼を寄せるようになった最初のきっかけは、出会って数カ月後のこと。世界選手権に出場する瀬立のためのシート開発が始まり、宮本氏は試作品をもって職場の大阪から瀬立の練習拠点である東京に何度か出張した。そのたびにさまざまなアイディアを出し、真剣に向き合ってくれたのだという。メカニックとしての誠実さと、明るい性格の宮本氏に瀬立は少しずつ打ち解けていった。

 そして、斬新な宮本氏のアイディアによるシートは、明らかにパフォーマンスを高める重要な要素となっていると感じたことも、瀬立の信頼度を高めた。実際、その数カ月後に出場した世界選手権では世界のトップ選手たちが、瀬立のシートに注目した。宮本氏が開発したシートは、素材も形状も、それまでにパラカヌー界では世界に類を見ないものだったのだ。そのシートに乗った瀬立は、初出場ながら決勝進出という結果も出した。

メンタル面もサポートしてくれる“元気の源”

2019年の世界選手権、瀬立が東京パラリンピック出場決めた瞬間、メカニックの宮本氏は、拳を天に突き上げた=(撮影:越智貴雄)

 瀬立にとって宮本氏は、今や単なるメカニックという存在だけではない。“太陽のような存在”の西コーチが安定剤であれば、宮本氏は瀬立にとって元気の源だ。

「海外で何かハプニングが起きても、宮本さんが全部楽しさに変えてくれるし、レース前も、笑わせて緊張をほぐしてくれるんです」

 一昨年、東京パラリンピックの切符がかかった世界選手権でも、レース以外の場所では宮本氏が全力で笑わせてくれたことが、本番で力を発揮する原動力の一つとなった。

 一方、宮本氏はそのレースで5位入賞し、東京パラリンピックへの切符を獲得した喜びの瞬間を一緒に味わえたことが、一番の思い出だという。

「どれだけモニカが必死に練習をして、どれだけ緊張していたかは近くで見ていて知っていただけに、あの瞬間は本当に嬉しかった。ほんまにようやった、と思いました」

練習後、メカニックの宮本氏と談笑する瀬立(撮影:越智貴雄)

 それにしても、休日返上で瀬立のサポートに力を注ぐのはなぜなのか。宮本氏は、こう思いを語ってくれた。

「たいていの場合、アスリートは国内にライバルがいて切磋琢磨して世界に挑むなかで成長していくと思うんです。でもパラカヌーの競技人口はまだ少なくて、モニカは選手としてはたった一人で世界に挑んでいる状態。そんな中で頑張っている姿を見ていると、何かできることがあるならやってあげたいという気持ちになるんです」

 メカニックとしての技術の高さ、そして緊張を和らげ、辛い時も気持ちを切り替えさせてくれる明るい性格を兼ねる宮本氏は、瀬立にとっては「誰にも代えのきかない存在」だ。そして「チーム・モニカ」は、そんな存在ばかりが集まっている。

 東京パラリンピックの決勝レースが行われる2021年9月4日。瀬立は「チーム・モニカ」を結集させた力をすべて発揮し、誰よりも速くゴールするつもりだ。

(文・斎藤寿子)

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